かたつむり学舎のぶろぐ

本業か趣味か、いづれもござれ。教育、盆栽、文学、時々「私塾かたつむり学舎」のご紹介。

教育雑記帳(32) 本を読む子/読まない子 前編

 何でもかんでも二分法で考えるのは、教科書の定番になっている評論みたいで気が引けますが、こればっかりは断言できます。

 本を読む子/読まない子との間には、厳然たる「/」が存在します。

 教室で学習している子のとある反応を見るだけで「ああこの子は読んでいる」「こいつは全然本を読まない」というのは、だいたい分かってしまいます。

 その隔たりを生み出しているものこそが、外ならぬ「語彙力」の差であります。

 本を読む子に顕著な傾向として、いちばん可愛らしいのが「自分で読解の答えを考える」というもの。本文を読んできちんと言葉と話を理解しているがゆえに、設問の答えを「自分の言葉」で拵えてしまうのです。

 もちろんこれは「本文の言葉」でない以上、残念ながら不正解とならざるを得ませんが、「え? なんでぼく間違えたの?」という顔をする彼にわけを話してやると「なんだ、そんなことか」とすぐに納得してくれます。

 これは今後の更なる成長が期待される「本を読む子」の例であります。しかしながら「本を読まない」、やはり語彙力が不足している子となると、そう簡単には事が運びません。

 そんな子はまず以て、音読が下手くそであります。音読が上手くないことの要因は、パッと文面を見た時に言葉のまとまりを瞬時に把握できないところにあります。

 だから、そんな子に音読をさせてみると、単語の途中でぶっつん、ぶっつん「た/ろ(う)は、たけの/こ/に、うわ/ぎを、かけま/した(す)。」という具合に、あり得ないところで単語が切れたり、カッコで示した誤読が頻発するのです。

 やはりそうした点においても、語彙力の少なさが露呈していて、いざ読解に進んだとしても意味が分からない言葉のオン・パレード・・・。

 同じ年齢の子であっても、これほどまでに差がでるものかと、毎度ながら驚きあきれる次第です。