かたつむり学舎のぶろぐ

本業か趣味か、いづれもござれ。教育、盆栽、文学、時々「私塾かたつむり学舎」のご紹介。

蝸牛随筆(2) マスク美人

 近頃だいぶ美人が多くなった。

 どの女性も実に目元が美しく際立っている。あのマスクの下もかくやと、イメージを膨らしている自分がある。

 そうなると、マスクは一つのキャンバスみたいなもので、そこに隠された鼻であったり口や頬を勝手次第に描き込むなど、まなざす者の不躾な想像力を触発せしむる場所として機能することになる。

 ここ二、三年、コロナの最中に生まれ育った子供は、マスクを付けていない大人と関わることに、どうにも不慣れであるらしい。外に出ればマスクを付けた人にしか会わないのだから、それも尤もな話である。

 となると、彼らは私たちが幼時に経てきたような、他者との出会いをそれほど経てきていないということになるだろう。

 もちろん、別にそれが問題だというわけではない。ただ単に「マスクを付けるのが当たり前の世の中」に生まれただけの彼らに、何の落ち度があろうか。

 文化風習なんてものはこんな風に、ともすれば何かの拍子でコロリと変わってしまうものなのである。女性が徹底的に肌を隠したり、男性がスカート状の衣装を着けたり、それが当たり前な世の中に生まれ出たならば、それがスタンダードなのである。

 私は少し愉しみでもある。これから生まれてくる私の子をはじめ、マスクの世の中に生を享けた子供達が、どのような価値尺度を育んでいくのか。

 もしかするとそこには、マスクを付けた上での美人、イケメンの精緻な判断基準が登場するかもしれないし、寧ろマスクの姿がスタンダードなセックス・シンボルとして定着する可能性だってなくはない。

 さはれ、外見がマスク基準で判断される時代が到来するにせよ、心根の美しさや豊かな人間性がそこに伴っていてほしいと願うのは私だけであろうか。