何か新しいことを学ぶにしても、知識を定着させるにしても、頭に一時的に入れておける容量が大きければ大きいほど、情報を比較したり、整理する作業が捗るのは当たり前。それは大きな作業テーブルに喩えられます。
しかし、一方の小さなテーブルで知識の整理定着作業を行う人々は、その狭隘なテーブルの都合から、ぽろぽろと情報がこぼれ落ちてしまって、およそロクな作業にはなりません。学習効率があがったりになる要因は、まさにここにあるのです。
覚えたことをすぐに忘れる。局所的な理解しか出来ない。こうした子に共通しているのが、深刻なキャパシティ不足なのです。
そしてこのキャパシティは、なんと「三つ」までの教育において飛躍的に成長するとのこと。〇才から三才までの間に、しこたま読み聞かせを行い、たくさん話しかけ、様々の知育に励むことで「頭の良い」子が育つのです。
残念ながら、学校の教室を見回してみても「詰んだ」感の半端ない子はゴマンとあります。学力の二極化は、実に彼らが未だいわけなき時期から進んでいたのだと言わざるを得ません。
しかし、ここで完全に「詰んだ」と思ってあきらめてはなりません。「三つ」までとは言え、各人のキャパシティは鍛えようによって何とかなるのです。
認知症の老人が公文をやって、認知機能や身体機能に改善が見られたという例が物語っているように、頭のキャパは筋トレのように毎日コツコツ努力することで、ちゃんと増えていくのです。
子供をスマホ漬け、動画漬けにする前に、その子の将来を思うのならば、「頭の良い」子になるための道筋を示してやるのが、親ってものなのではないでしょうか。