お前、ホントに外国行ってきたのか?
というのは、懐かしい「寅さんのおいちゃん」の台詞。
ええ、行ってきましたとも。何ならアメリカだって遠くから見てきた次第で。
流石はイギリス植民地、女王陛下の名を冠した州都ヴィクトリアより鉛色した海をのぞめば、沖のカモメが飛び交うあたりに、小さくせり出した半島があって、「あれがシアトルの街だ」とホストファミリーの親父さんが言う。
つまりそれは、私が初めて眺めたアメリカで、一つの国から他所の国を眺めるという経験のなかった私にとって、けっこう衝撃的な体験でありました。
県境はおろか、せいぜい町境を越えるのが関の山である人間にとって、国と国の境の線というものを意識することなどまずありません。世界史で習い覚えた国同士の領土合戦も、こうしてみるとなるほど納得。これなら取り合いっこになっても仕方がないと、ヘンに納得したものでした。
ファミリーに連れられて大通りを歩く。曇り日の石畳に早くも街路の光が滲み出し、鼻息白く議事堂前を馬車がせわしなく往来する。
一家はクリスマス用品の専門店に立ち寄り、ツリーに下げる新しいぼんぼりを買い求め、一方の私はショーウインドに映る寂しげな東洋人の姿を発見するにつけて、強烈なアウェー感を新たにしたものでした。
この内心に渦巻くものは、たとい私が英語をペラペラに話せたって伝わるものではなかったことでしょう。何せそれは自分ですらよく分からないのだから、どうにかこうにかしてそれを形にするためには、万の言葉が必要であり、しかるべき文体が必要だったのです。
いやはや、私にとっての「文学」の一丁目一番地は、ひょっとすると、カナダだったのかもしれません。言葉に不自由するという経験が、言葉によって自由に表現することを渇望せしめる契機となったことは確かなようです。