かたつむり学舎のぶろぐ

本業か趣味か、いづれもござれ。教育、盆栽、文学、時々「私塾かたつむり学舎」のご紹介。

教育雑記帳(37) 言葉の感度 後編

 最近の子供達が、どのように語彙を増やしているのか分かりませんが、やはり現場に出ていると「言葉の感度」が低いな、と感じる子供を見かけることがあります。

 まずもって、語彙習得に欠かせないのは、知っている言葉にせよ、そうでない言葉にせよ、それをキャッチする能力なのではないでしょうか。「あれ? はじめて聞く言葉だなぁ」とか「難しそうな言葉だなぁ」とか「何か、かっこいい感じがする」とか…。たとえ意味は定かでなくとも「あれ?」と注意を向けられるだけの「感度」がそなわっていないと、言葉は次から次へと筒抜けにスルーされていってしまいます。

 国語の読解問題が解けない子は、だいたいがこれです。ちょっと意味不明な言葉があっても、そいつを平気でスルーして、自分が知っている限られた言葉だけでナントカしようとしてしまうものだから、いつになっても語彙数は増えないし、読解だって出来ないのです。

 これは実に哀れむべき例であります。普段から言葉に対する感度が低いあまり、新しい言葉をけっこう意識的にスルーしてしまう子も、これまで何人か見てきました。

 では、如何にすれば言葉の感度を上げることが出来るのでしょうか。そんな子たちに、今さら「本を読め!」と言ったって、絶対に読みだすわけがありません。この点については保証します。

 大事なのは、家庭内で言葉のやり取りを活発にすることなのだと、私は思うのです。少なくとも子供よりは言葉を知っているオトナが、率先して今日あったことを話したり、子供がへらへらと喋りだす環境を作ってやることが、最初の一歩なのではないでしょうか。

 同じユーチューバーの同じ言葉遣いばかりに閉塞していては、偏食と同じように栄養が偏るというもの。視聴しているこちらは、ひと言も言葉を発していない、如何ともしがたい一方通行がそこにあることを忘れてはなりません。

 オトナが話していることを聞かせたり、子供が嬉々として口を開く家庭環境を拵えることが出来れば、自ずから子供の「言葉の感度」は上がってくるし、それが長ずれば本だって勝手に読み出すというわけです。

 じいちゃん、ばあちゃんの方言、両親、先生、友達との会話、テレビ、ゲームの字幕やアイコン・・・。言葉は至る所に転がっています。それを拾える子供と拾えない子供、お金じゃ買えない「豊かさ」の分水嶺は、ひょっとするとこんなところにあるのではないでしょうか。