かたつむり学舎のぶろぐ

本業か趣味か、いづれもござれ。教育、盆栽、文学、時々「私塾かたつむり学舎」のご紹介。

教育雑記帳(37) 英語のはじめ時 前編

 このところ、小さい子にやたら英語の勉強をさせる風潮が出てきたのは、英語が小学校に降りてきたせいでありましょう。

 国際競争力だか何だか知りませんが、私は国語も覚束ない子供にアルファベットを書かせたり、「ハウアーユー」「アイムファインセンキュー」だのと一つ覚えをさせることに対して、疑問を抱かざるを得ません。

 以前、公文の教室にやってきた年長の子が、親の強い希望で「英語だけやる」ことになった時、アルファベットを練習するプリントに、鏡文字で自分の名前を書いていたことが、強く印象に残っています。

 自分の名前はおろか、満足に平仮名を読むことも出来ない子が、どうやって英語の学習を進めていくというのか。なるほど、ネイティブの只中にあれば何も読み書き出来ない状態から、英語を習得していくのが普通でありましょう。何せ身の回りに英語が溢れているのですから、そこから折に触れて新しい言葉を学び取るのも、実に自然なことと言えましょう。

 しかし、ここは日本であります。日本語に囲まれて生活して、勉強の時だけ英語を喋ってみる、まさに限定的な学習が何ほどの効果をもたらすものでしょうか。いずれ文法の学習などはじまった時には、その説明を英語で理解するつもりなのでしょうか。

 なるほど、そんな文法など体得してしまっているから説明など必要ない、ということなのかも知れませんが、日本語もろくに使いこなせない、そして「言葉の感度」も鈍い子供に、そんな高度な芸当が出来るとは、到底考えられないことです。

 案の定、アルファベットを音と対応させて捕らえることも出来なければ、音読だって耳で聞いたのをただ暗記して喋っているだけ。その場でだけ暗記して、あとはきれいに忘れてしまうわけですから、教材は進めど何もその頭の中には残っていないのです。(次回に続く)

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