塾生心得 訂正の精度 前編
この間、ふとこんな警句が口を突いて出ました。
「間違いを訂正することは、問題を解くことより難しい。」
我ながらなかなかどうして、深い事を申してやったぜ、とひとりして悦に入っていたところ、「え? 先生、これってどこか間違ってます?」と言われて「あれ? いや、これ合ってるじゃん」と苦笑い。
白い紙に「答案」と呼ばれるものを書くことは、それが自分的に「合ってる」と思えていれば容易いことでありますが、いざそれに「×」が付けられた時に、皆さんはどのように対処するでしょうか。
流石に諸君の中にそのようなことをする人は無かろうと信じていますが、世の中には「×」をくらった瞬間に消しゴムを手に取る人というものがあります。
いったん全てを消しゴムで以てリセットしてしまって、スッキリ気分爽快。さっきまでのことはすっかり無かったことにして、新たに自分の信じる答えと思しきものを書き出すわけですが、それは狙いすましたかのように同じ「ドツボ」にブーメランの如く帰っくる・・・。
皆さんだって、かつてはこんな経験をしたことがあるのではないでしょうか。実のところ私もそうでありました。
「リセット」の魔力は、くらった「×」のショックをものの見事に消し飛ばしてしまうわけですから、新たな気分でもう一度マジメに答えを書けば、きっと正解にたどり着けるはずだ、という気分に私たちを落とし込むものです。
もう、お分かりのように、ここにこそ「学べる」人間と、そうでない人間の分かれ道があるのではないでしょうか。
もし自分が何か決定的な見落としや勘違いを、その答案において冒しているとしたならば、そのミスに気がついた上で正解に至るのか、そうでなくて何となくやり直して偶然正解に至るのとでは、「学び」の厚みというものが違ってくるのです。