盆栽百計「序」
樹も塾生も、漫然と付き合ってばかりでは面白くない。
不思議な縁から私のところへやって来た彼らは、日々変化していく。これは文学作品であったり、プラモデルにはない厄介な点であると同時に、最大の面白みでもある。
生きているものを相手にしているからには、彼を知り己を知らねばならぬ。いかなる性(しょう)であるか、どんな環境を好むか知悉した上で、ある程度の作戦を立ててかからねばならない。
将来的にどんな姿にして一本立ちさせてやるのか、もしそこに課題が見つかれば、それに対して自分が講じうる手立ては何か。万が一のことが起きた際のプランBはあるか。
新しい素材や塾生をむかえる時は、いつもながらこんな感じで頭を悩ませる。樹も塾生も、判で押したように同じ存在は一つとしてないのだから、その数だけ作戦が必要なのである。
アプローチの方法は多々あれど、いい加減大きくなってしまうと針金も矯正も効かなくなってくる。性根というものもまた、そなわっているものであるからして、交換できるものではない。持って生まれた葉っぱの形を変更出来ないように、人の性根をコロリと変えるなんて芸当は、まず不可能だと思ったほうがよい。
良くもあれ悪くもあれ、まずは現状よりはじめねばならぬのである。どうにも苦しいところを誤魔化したり、何とか良好な方向に転ずるためには、長所を伸ばすのが一番の早道なのだ。
何なら欠点という名の個性を、あえて強調してやることが彼らの活路をひらくきっかけになることだってある。そのためには、樹と人とそれぞれ対話と試行錯誤を重ねながら、将来の青写真を描いていかねばならないのだ。
さすがにわが塾生諸氏の個人ファイルをここに連ねるわけにはゆかぬので、『盆栽百計』と題して、私が付き合いをしている盆樹たちとの馴れ初めやら、その育成計画を(私の備忘録をかねて)ご紹介申し上げる所存である。