子供の書いたものが百点になったか否か、今日学習する分の課題をみんなこなしたか。
こんなことは、指導者と名の付く人でなくたって、誰にでも出来る確認作業に過ぎません。
世の教育現場に立つすべての人間が、こんな基準で子供の学習の達成度なんてものを測り始めたら、早晩わが国の教育レベルは地に落ちることでありましょう。
以前『教室の選び方』というシリーズにおいて、何度か取りあげたように、実際こんな「確認作業」に甘んじている指導者(?)はけっこう多いのです。
公文式や、テキスト学習型の塾となると、やはり教室選びは慎重に行う必要があります。正直なところ、教材を用意して○をつけて「がんばったね!」と言っておれば、教室は一応まわってしまうのです。
高い月謝ばかり払わせておきながら、これでは体の良い詐欺と言われても仕方がありません。
「何なら教材だけ出てくるコンピューターと、採点マシーンがあれば、指導者なんてものは必要ないのでは?」と言われた時に、せめて自分は「いやいや、そんなことはない」と言える教育現場の人間でありたいと思っています。
教材を解いている子供達に相対する、現場の人間に出来ることはなにか。
私は「手もとを見ること」だと思います。
よく刑事ドラマで言うところの「現場九割」ならぬ「手もと九割」。指導者という立場になったら、机にかじり付いて事務仕事をこなしているばかりではいけないのです。