「私たちが生きる世界の至る所に公文式がある。」なんて言い方をすると、公文の教室がコンビニみたいにいっぱい存在しているように思われてしまうかもしれません。
かつて、創始者である公文公(とおる)が「風呂屋の数ほど教室をつくれ!」と語った逸話はさておいて、私が申したいのは、日常の至るところに公文で鍛えた能力を発揮するシーンがある(っぽい)、ということなのです。
教室での採点指導はもちろんのこと、事務処理であったり、エクセル関数をガン無視した手計算であったり(笑)、私の身の回りでは何かと、頭を瞬時にフル稼働させねばならぬ場面があります。
情報をすばやく適確に読み取り、効率よく処理していく時、あるいはバッハを無心に弾いている時、ふわっと頭に血が上って火照るような感覚は、子供の頃プリントに向かっていた時のそれと、やはり似ている気がするのです。
そして極めつけは、自動車学校の適性検査。
当時大学生の私は、たいへんマジメに検査に臨んだわけですが、結果はまさかの「運転不適格」。講評には「処理速度が早すぎるため、運転中に別の事を考える危険性がある」とのこと。
ハテ、面妖な。確かに三桁の筆算は全部時間内に解ききったけれど、他の項目はどうだったのかしら・・・。「不適格」の三文字を見つめながら、意外なショックを噛みしめる二十歳の私。
右の表と、左の表を見比べ、手当たり次第相違点にチェックを入れていく問題などもあったけれど、よくよく考えてみれば、そんな作業はバイト先である母の教室で夏休みの間中ずっとやっているわけで、不慣れなわけがありません。
「お前はな、ちょっと、オカシイんだ。どこにあの計算を全部解くヤツ居っけな。」と同乗した教官にイジられて、「よっしゃ、計算は全部当たっていたようだナ」とほくそ笑む公文生なのでありました。