盆栽百計「赤松」
これはコロナが始まるずっと前に、東京は上野のグリーンクラブの常設店において買い求めたものである。ちょうどわがブログのアイコンに、在りし日の姿が写っているのを参照していただきたい。
ひょろひょろとした立ち上がりと、樹肌の細かな荒れ具合が、ちょうど私が求めていた「文人木」のイメージに合致した時には、既にがっちり手に取っていた一鉢である。
すぐにでも棚場の即戦力にと、ほくほくしながら新幹線に乗っけて帰宅したわけであるが、何分初めての「赤松」。男勝りな黒松なら育てたことはあるけれど、葉っぱだって柔らかくてやさしいまさに「女松」は何だか別物のような気さへしてくる。
それはあたかも、男兄弟ばかりのところへ突如やってきた女の子みたいで、およそ勝手が分からない。そして何より、雑誌でよく取り沙汰されている「ポッキリ折れ」なる性質も油断ならない。
いかほどやったらアブナイのか、それが分からないからおっかなびっくり触っていたわけであるが、おかげで二年経っても三年経ってもイマイチぱっとしない。
芽切りと葉切りで、ちょっとずつ枝のパワーバランスを調節出来てきたにも拘わらず、なんか頭がぱっとしないのである。
それもそのはず、この「赤松」の難点はダブルヘッダー。頭が二個あったからこそ、しまりがなくてぼやっとしてぱっとしなかったのである。
先生に相談したところ、ソッコーで「頭はこっち」と指摘されたのをきっかけに、この度大幅な改作を断行。無事、五年来付けっぱなしだった頭を一つ落として、ようやっと今現在の私が求める「文人」の風情に近づいたような気がする。
それでも、こんな風にがっつり手を加えられるようになったのも、やはり長く付き合って来ればこそ。
少しずつ接し方を探りつつ、ギリギリのポイントを把握する対話を重ねてきたことの成果である、と思いたい気もしないでもない。