かたつむり学舎のぶろぐ

本業か趣味か、いづれもござれ。教育、盆栽、文学、時々「私塾かたつむり学舎」のご紹介。

盆栽百計「楡欅(ニレケヤキ)」

 それは今から丁度一年前。

 初冬の早い夕暮れに、ふと立ち寄ったカインズホームの棚場の隅に縮こまっていたのを、偶然発見したのが馴れ初めである。

 すっかり葉を落としきった裸木の状態であったけれど、蜘蛛の巣やら何やらに絡まった枯れ葉が引っかかって、パッと見何の樹だかも分からない。ジャンバルジャンが見いだしたコゼット嬢を想起せしむる見てくれであったが、寧ろその所為で誰かに先を越されることなく、私の手もとに来たのであろう。

 立ち上がりから幹が真っ直ぐ伸びていて、理想的なサイズ感の所から枝があるらしい。その場であれこれ付着した余計なものを取り払って、枝の具合を確認するわくわく感たるや、掘り出し物の素材を検める時のそれに如くものはない。

 まったく興味のない方々からすれば「へぇ、そうなんだ」くらいの話であろうが、そろそろ暮れてきたカインズの外売り場で、挙動不審な動きをしている盆栽愛好家の心中は、どうして穏やかではないのである。読者諸氏も、どうかそんな愛好家を見つけることがあったら、生暖かい目で見守ってやっていただきたい。

 値札というか見切り札を確認すると、思いがけない値段が書いてある。「え? 五百円でいいのかしら。」と思う気持ちは、私の中でだけ爆上がりしている価値とのギャップから生まれた、ヘンな背徳感から出たものであるが、先方がそう値をつけているのだから仕方がない。ほんとにイイんすか? という気持ちでレジを通ったのを覚えている。

 連れて帰って改めて掃除をして、早速針金をかけて春を待つ。直ぐには結果が出ないのは、盆栽という趣味の宿命であり、わくわくを「来春まで」「半年後」「十年後」「五十年後」と先延ばしにする究極の気長さを友とする愉しみでもある。

 まだまだ枝葉は充実していないものの、仕立ててから半年、驚くべきスピードで展示会に登場した樹は、わが棚場でも珍しい。さて今日辺り、冬枯れのしたホームセンターの棚場に、二匹目の泥鰌を捜しに行こうかしらん。