かたつむり学舎のぶろぐ

本業か趣味か、いづれもござれ。教育、盆栽、文学、時々「私塾かたつむり学舎」のご紹介。

弟子達に与うる記(18) 本は別腹

 「卒論はお財布を痛めつけて書くものだ」という言葉を、きっと諸君ははじめて耳にすることでしょう。さて、この言葉が意味するところは何だと思いますか?

 もちろんこれは、大学を出るための卒業論文を誰かに高いお金を支払って代筆してもらうべし、ということではありませんので悪しからず。

 論文を一本書くためには、いや論文のみならず何かしらまとまったものを書くにあたっては、ちょっとした思いつきでどうこう出来るものではありません。それに関連した参考資料も文献も山ほど集めなければなりませんし、そして何より普段から日常的に本を読み、そこから自分に不足している栄養素や、専門的知識を取り入れておくことが不可欠になります。

 まさに「お財布を痛めつける」のは、そのため。まっとうに大学を卒業するためには、一冊でも多くの本を買うために、とことんなけなしのお金を出動させねばならないのです。

 ナニ、図書館で済ますですって? なるほどその手もありましょうが、それでは本に書き込みが出来ますまい。私の場合小説を読むにあたってもそうですが、少なくとも専門的な文章、書物を読み込むにあたって「書き込み」や「線引き」は欠かせない作業であります。

 センター試験の文章に線を引かない人間がいないように、読み込む作業には必ず何らかの加工を必要とするものです。そのためには、それが是非とも「汚せる本」でなくてはなりません。だからこそ買うのです。買わなくてはならないのです!

 我ながら申していることが多少強引である感も否めませんが、寧ろ自分のお金で買ったものだからこそ一生懸命その金額分を読んで取り返そうという気にだってなるのです。学生たるもの、五千円でフーコーを買ったら、その五千円以上のことをその本から学んでやろう、というような気概を持たなくてはなりません。

 そうして本に刻んだ足跡ならぬ「書き込み」は、後でその本をもう一度読み返す際の貴重な手引きともなるでしょうし、過去の自分との時を越えた対話すら可能にすることでしょう。本は汚してナンボなのです。

 なお、「書き込み」についての詳細は、山本貴光著『マルジナリアでつかまえて』(本の雑誌社)を参照のこと。

 学生諸君、本は別腹であります。よろしく罪悪感フリーな買い物と心得べし。それが少しでも諸君の触覚をぴくりと動かしむるものであったなら、ゆめゆめ迷うなかれ。今すぐには役に立たなくても、それは思わぬところで光り出して、諸君の前途に一縷の光明を投げかけてくれるやも知れないのだから。

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