かたつむり学舎のぶろぐ

本業か趣味か、いづれもござれ。教育、盆栽、文学、時々「私塾かたつむり学舎」のご紹介。

盆人漫録(26) 自然を愛する男

 それは、一対一のガチンコ対面でありました。

 午前中の当番だった私が、展示会場である「蔵」の扉をギギギと開け放つと、そこに見知らぬ「景色」が広がっていたのです。

 その「景色」の中を彷徨う私の視線は、まず以てその鉢の中に強烈な存在感を放つ「灯籠」に注がれました。三段に石を組んだお手製の灯籠が、それこそ「樹」よりも目立っているではありませんか。

 「石に付けた」というのは、どうやら聞き間違いだったようで、「石(灯籠)を付けて」「景色を付け」たというのが正解だった模様。なるほどこれは所謂「盆景」というやつで、鉢の中に一つの景観を拵え、その風情を愉しもうという趣向であるらしい。

 灯籠、そしてすっかり存在を忘れていたけれど肝心の「真柏」はこれまで拝見したことのない造り・・・と言いたいところだが、これはどこかで見たことがあるような、ないような・・・。

 この独特の枝葉のボリューム、抜群の樹勢、そして天を突くような直幹仕立ての真柏は、私の頭を膨大な情報量の渦に叩き込んだまま、会場の準備を大いに遅らせるところとなったのでした。

 するとこの一鉢、結構お客さんに好評で「アラ、灯籠!」「え、コレ、灯籠?」と、つかみは抜群で、やってきたお客さんの目に灯籠という先制パンチを食らわせて、アッと言わせるのでありました。

 それにしても、あまりに個性的なこの真柏。ようやくその謎が解けたのは後日の教室で、出し抜けに本人の口から、「自然の樹をつくる」ことにかける情熱が語られた時でした。

 それはまさに「植木屋さん」としての樹づくりに他ならず、立て替えるための脇枝を大事に残し、枝葉に旺盛なボリュームを付け、針金矯正などの「作為」を排することで、自然に近い樹をつくるという揺るぎないコンセプト。

 盆栽を学びに来ながら、ベテラン植木職人の樹木観について理解を深められるなんて、いやはや同好会は実によい勉強になります。

 その人にしか造れない樹があるということは、その人ならではの感性と考え方が確固としてあるということなのでしょう。盆栽人の数だけ、盆栽がある。樹を見ることと、そうした人間を見ることは、やっぱりどうして切り離すことの出来ないものなのかもしれません。
 
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