かたつむり学舎のぶろぐ

本業か趣味か、いづれもござれ。教育、盆栽、文学、時々「私塾かたつむり学舎」のご紹介。

盆・再考 降る雪に

 冬囲いの中に入れてもらえなかった盆樹たちが、みぞれの降る庭に立ち尽くしています。

 やや年も暮れ。曲げたり追い込んだり、私の内に渦巻くエゴイズムによって実害? を被った樹々は暖かなビニールの保護室で養生しながら、「いやはや、今年はだいぶアイツにやられたよ。」「オレだって、見ろよ、こんな所曲げやがって。」「次のシーズンは植え替えてくれんだろうか?」なんて私の悪口を言っているような気がします。

 しょっちゅう手をかけている樹というものは、ふとした拍子に次の一手を考えつくもので、朝起きてやおら差し枝を抜いてみたり、思いも寄らなんだ枝を芯に立ててみたり、出来不出来に拘わらず何だかんだ、その形状を愛することができます。

 しかし、その一方には「あ、居たの?」という樹もある・・・。喩えるならば「千日手」。どうもこうも退っ引きならない状態のまま、二年も三年も前からその姿のままで今日に至る樹というものがあります。

 盆栽をはじめた頃に買って、後々そのどうしようもなさに気づいて意気消沈した一鉢であったり、誰かに頂いたのだけれど、下手をして枯らすのも申し訳ないし、どう手を付けてよいか思案しているうちに忘れ去られた樹が、今日のようなみぞれを浴びているのを見る度に、「ああ、来年こそは手を入れよう」という気持ちだけを毎年のように更新している体たらくであります。

 やはり、盆栽とは手をかけてナンボなのでしょう。棚の隅で疎遠になった樹を二年も三年も置いておくというのは、きっと盆栽をやるモチベーション的にもあまりよろしくないのです。と自分に言い聞かせつつ、来年こそは棚の稼働率アップを目指して、わがエゴイズムと「忘れられた樹」の火花飛び散る衝突を実現させる所存。

 「その方が彼らにとってもきっと幸せな筈である。」と、この年の瀬に及んで、背筋の凍るようなエゴイズムをチラ見せしつつ、一盆栽愛好家の一年が終わるのでありました。盆栽愛好家の皆さま、そして盆栽愛好家予備軍の皆さまにとって、来年がよい年でありますよう。いつの間にやらみぞれからかわった降る雪に祈りつつ。

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