かたつむり学舎のぶろぐ

本業か趣味か、いづれもござれ。教育、盆栽、文学、時々「私塾かたつむり学舎」のご紹介。

盆栽教育論(2) 鉢に入った子供Ⅰ

○よく似たふたり

 盆栽が生きるのは鉢の中。

 鉢に入れられた樹は、ほしいままに根を伸ばすことも出来なければ、それによってぐんぐん一人で伸び出すこともままならず、ちょっと陽気が好ければ、いつだって水切れの危機と隣り合わせの状態です。鉢に入っていることは、樹の生育にとって寧ろマイナスの要素が大きいのです。

 だからそこには、鉢に入れた張本人である人間の手が入らなければなりません。根は詰まっていないか、他の枝の生育を脅かすほど徒長している枝はないか、さっき水はやったけれどもう乾いている鉢はないか。自分でやったことの責任を取るのは当たり前、と捉えることもできましょうが、盆栽を育てる人は少なくとも、こうした作業を恒常的に継続して行うことを求められており、それをサボれば鉢の樹はいとも容易く枯れてしまうのです。

 しかしながら、これはそのまま子供にも当てはめてみることが出来るのではないでしょうか。試みに「鉢」を彼らが生きる「社会や家庭」に置き換えてみると、確かに子供は生まれながらに「彼らが生きねばならない環境」を与えられると同時に、良かれ悪しかれそこから何かしらの制約をうけていると言えます。まさに「鉢」は選べないのであります。

 そう言うと何だか子供は、ひどく窮屈な制約をうけているように感じられますが、ここで一つ注意すべきは、その対極に「そうでない状態」、言うなれば「自然状態」というものを想定することは出来ないという点であります。社会の規範から離れた場所がもし仮に存在したとして、そこで野性味たっぷりに子供を育てるにせよ、「育てる」という行為(作為)を排することが不可能である以上、その子供はやはり何らかの規範と環境を「与えられて」育つことになるのです。