かたつむり学舎のぶろぐ

本業か趣味か、いづれもござれ。教育、盆栽、文学、時々「私塾かたつむり学舎」のご紹介。

定点観測(51) セリ人の手技

 初マグロを仲買人たちが威勢良く競り落としている。その手指の示す意味を、素人であるテレビのまえの私たちは一向に解すことが出来ない。

 しかし、どうも私はそれを見たことがある。どこかでこんな、不思議でめまぐるしい手指のサインを見たことがあるのだ。それは、いったいどこで、誰が・・・。

 そんな解けない謎を抱えつつ迎えた、新年一発目の教室。子供達はいまだ冬休みとあって、ちょっとのボケはあるけれど元気そのもの。そんなハツラツボーイとピンピンガールがあまたある中に、すぐれてハツラツとはしていないけれど、めざましい手技を繰り出している男がある。あっ、あれだ! あれこそマグロ、いや計算を鮮やかに捌いていく、わが教室のセリ人である。

 足し算の筆算を理想的な速度で解き進めながら、彼の左手は、ぱっぱっぱっと、不思議なサインを絶えず繰り出している。おそらくそれは繰り上がりが出る際の一の位を出すのに関連しているのだろうが、未習熟の子が指を折って足し算しているのとは明らかに違う動きなのだ。

 公文式的には「指を使う」というのは言語道断で、「頭の中に数を置く」ために指は使うな、繰り上がりも書くんじゃないと指導するのだが、彼の指はどうなのかと問われたら、私も妻も「まぁ、いいんじゃないかなぁ?」と言ってしまう。

 ここまで来るのに、非常な苦労をしてきた彼である。足し算だってちゃんと熟達しているし、もちろん指を使わずに出来るくらいまで修行をしてきた彼である。

 そんな彼が漸く快進撃を見せてきたところで、しかも彼なりの「工夫」をしながら、素敵な速度で計算することが出来ているのだから、それを邪魔するのは野暮というものであろう。第一、正答率にも速度にも全く影響が出ないほどの業なのだから、およそケチの付けようがないのだ。

 丸を付けている私の左手だって、自分でも理解しがたい動きをしているのだから、そこは最早お互い様。値段が跳ね上がっていく初マグロのように、ひとつ今年の彼には大きく跳躍してほしいものである。