かたつむり学舎のぶろぐ

本業か趣味か、いづれもござれ。教育、盆栽、文学、時々「私塾かたつむり学舎」のご紹介。

弟子達に与うる記(20) ジョーホー過多

 このほど大学入試に「情報」という科目が課されるとのこと。私だったら百パー詰んでいた、と胸をなで下ろしておる次第でありますが、今の時代を生きる諸君は、きっとこの手のことにも強いだろうし、私のようにこうした科目を未履修で来たわけでもないでしょう。

 「ワード」と「ポメラ」しか使わない世界に生きる私は、およそ「エクセル」というものを使うことが出来ません。「パワーポイント」ならば小学校の頃に習い覚えたので何とかなるでしょうが、「エクセル」というものを自在に使いこなす人を見る度、他人ごとのように「すごいなぁ。」という感慨を新たにするばかりです。

 かつて大学の授業で「情報処理」というのがあった時はたいへん苦労しました。あのエクセル関数というものがテンで分かないのに、私を置いて教員の説明がどんどん進み、仕方が無いから机の下で嵐のように筆算して数値を手動で入力していたところ、見事に御用になった次第。

 それでも私は、これから「エクセル」を使える人になろう、とは思っていないのです。何が言いたいのかと申せば、ムリをして自分に向いていないものを覚える謂われはない、ということを「情報」の時代と逆行して、いや「情報」の時代であるからこそ述べたいのであります。

 諸君だって、どうにも性に合わないものや、およそ自分に向いていないと直覚するものの一つや二つもあるでしょう。どうしても必要に駆られればやむを得ない場合もありますが、世を渡っていくにあたって、可能ならばムリはしない方がいいと私は思うのです。

 自分の度を超えたことを、その場しのぎで半端に学ぶよりも、寧ろ自分が得意とするところを磨いた方が、結果的に社会に利するところが大きいのではないでしょうか。

 大事なのは、いざという時に自分の不得意と得意を交換しうる相手を見つけることなのです。「こっちはオレが引き受けるから、君はどうかオレが不得手なこちらを頼む!」とした方が、お互いにハッピーであるし、よっぽど合理的であるし、何より人間的な感じがします。

 「情報処理」もいいけれど、何をそんなに大量の情報が要るものか。あれもこれもと「情報」に振り回されるよりかは、いざという時に具えて、己の必殺の武器を研ぐにしくはありません。