○手遅れになる前に
幼児のころにキャパシティを大きくしてやることとは、彼らの頭の中の作業台を大きくしてやることなのです。べつに幼児のうちに方程式が解けるようになれ、というのではなくて、飽くまで学習を受け容れる下地をつくることこそが「幼児教育」の勘どころなのです。
盆栽のように針金を使って少々手荒なマネをしなくとも、人間は言葉という道具を駆使して、子供に適切な負荷をかけてやることが出来るはずです。『生まれたら ただちにうたを 聞かせましょう』『うた二百 読み聞かせ一万 かしこい子』という公文公(とおる)の素敵にぶっとんだ標語が教えているように、子供の素地は言うなれば大人の地道な努力によって培われるのです。
そうした手間をかけてもらった子供と、そうでない子供との懸隔は、年を追う毎に大きなものとなり、いずれはその将来の選択肢の幅を左右していくことになるでしょう。
いい加減大きくなった樹の「立ち上がり」を最早どうこう出来ないように、いい加減大きくなった子供のキャパシティもまた、後でいきなり大きくすることは出来ないのです。もし駆け込みでそうした能力を鍛えようとするのであれば、それには多大な負荷と相当な覚悟が必要となることでしょう。
だから、そうなる前に「先に手を入れる」必要があるのです。幼児のうちであれば遊びの延長として受け容れられることも、いい加減大きくなってからでは、その単調な繰り返しと本人のキャパシティをオーバーする学習量は、寧ろ苦痛に感じられるやも知れません。
柔らかい実生苗、若木のうちに将来を見据えて手を入れる。これはどうやら、盆栽に限った鉄則ではなさそうです。