ふとした拍子に子供達の知られざる人間関係を垣間見ることがある。
教室ではわきめもふらずに学習に打ち込んで、自分の課題が終わるが早いか颯爽と帰宅して行く子供達。そんなものだから、同級生を二人同じ机に並べても、まさに勤勉なサラリーマンのように自分の仕事をこなすことに集中するあまり、およそ隣り合った子に興味を示す様子がない。
ハテ、別なクラスなのか二人とも面識がないのかしらん。それでもせめて、もうちょっと同級生のよしみを発揮して、二人してニヤついたりなんかしていいものではないか。小学生とはかくも真面目人間であったか、と愕然とする大人は子供の観察ばかりしていないで、もう少し自分の仕事に集中すべきである。
ガタリ、と席を立つ音が聞こえる。二人並べた席のあの子が本日の学習を終えたらしい。そつなく勉強道具を片付けて、ファイルを返しに来る。宿題を受け取ってジャンパーを着ている。すると残された方の少年がチラッと顔を上げた拍子に、彼らの視線がようやくぶつかった。
「じゃあね、先帰るから。」「うん、また明日学校でね。」と爽やかな微笑みを交換しつつ、どうやらクラスメートだったらしい二人が、大人顔負けの「お先に」をやっている。どこまでも末恐ろしい子供達である。
全くの他人同士と思いきや、学校ではバリバリのお友達であるにも拘わらず、「公文は公文」という黙契を成立させて、よろしくやっているのだ。
大正期の谷崎潤一郎に『少年の王国』という好短篇があるけれど、子供達の社会というものは大人が思っているよりも、よっぽど精緻な秩序で回っているものなのやもしれない。かつて私もまたその一員だったはずなのだけれど、私はそれを忘れてしまって久しいようだ。