二、無軌道な間違い
「どうして間違ったのか」が一目瞭然である間違いの対極にあるのが、この「無軌道な間違い」であります。つまりは「どうして間違ったのか」学習者も指導者も分からない、計算や論述の過程からその思考回路が一向に見えてこない間違いがこれです。
かつて、とある生徒の計算問題を解いたプリントを採点していたところ、バツが七割、正解が三割というところだったので、どこか勘違いをしているはずだ、とふんで途中式を検めたところ、ほとんど全ての式において解き方が違っていた、ということがありました。
これはある意味、新鮮な驚きで、本人に尋ねてもやはり要領を得なかったことからは、それが実に「何となく」の学習であったことが知られました。「何となく」の実態とは極めて曖昧なもので、そこには一貫したロジックもなければ、その場その場で「何となく」解き方を変えてみたりしながら、どんどん流されていくうちに、結局のところ自分が何を学習しているのだか分からなくなるのが関の山なのです。
一貫した勘違いや錯誤によって0点を取る人と、何となくな間違いを重ねて30点を取る人とでは、断然後者の方が「学び」からは程遠く、「何が分かっていないのか」が依然として不明瞭であるという点において、「間違いの質」がよっぽど悪いのです。間違いから見えてくるべきは、思考の痕跡であって、迷妄の雲ではありません。
だからこそ「無軌道な間違い」は危険なのです。「学び」の一つひとつが論理的思考によって積み上げられるものである以上、たえず揺らいでいるロジック、解き方では積み上げるものも積み上がりません。
そうした間違いに立ち至った時、指導者がなすべきは論理の構築をおいて他にありません。無軌道で錯雑とした学習内容を整理させるためには、まず学習者の口でそれを言語化させて喋らせてみるより他ないのです。訥々と言葉が出てくるのを待ちながら、それを根気よく繋げてやる作業を通してこそ、「無軌道な間違い」を軌道修正してやることが叶うのです。