かたつむり学舎のぶろぐ

本業か趣味か、いづれもござれ。教育、盆栽、文学、時々「私塾かたつむり学舎」のご紹介。

盆栽教育論(12) 樹と子供の個性 Ⅲ

○見どころはどこ?

 盆栽愛好家がためつすがめつ盆樹を「観察」するのは、一つに日々のケアという側面もありますが、そこには「その樹の見どころ」を見いだすという重要なポイントがあるのです。

 全ての樹が教科書通りに仕上がるわけはありません。人も樹もあって七癖、長所もあれば短所もある中で、どこの部分を「見どころ」とするかがその樹の将来を左右します。

 面白いのは、短所としか見えなかった部分を寧ろ強調することによって、その樹の個性を引き出したり、正面と裏を思い切って逆にしてつくったり、植え付け角度を変更して厳しい谷間に食らい付く姿を演出したり・・・「見どころ」の見極めによって樹はいかようにも化けるわけです。

 だからこそ「観察」は不可欠なのです。そうして見ると、この盆栽における「見どころ」を吟味する作業とは、子供と相対する教育の現場においてもまた意味をもってくる作業であると言えるでしょう。

 昨今の風潮において尊重される項目のひとつに「個性」というものがあります。世界に一つだけの何とやら、という歌も一昔前に流行りましたが、やたらめったら「個性」と言っても、そんなものは一朝一夕に見つかるものではありませんし、寧ろ「個性を出せ出せ」というバイアス自体が、各人の個性をヴェールのうちに包み込んでしまうような気がしてなりません。ましてや「キャラ」と「個性」を同一視するなんてこともまた甚だしい錯誤と言わねばならないでしょう。

 「キャラ」とはひとえに、他者との関係性において用いられるツールに他ならず、「個性」とはもっと内的な特質であるとともに、人間的な「見どころ」と呼ぶべきものであると私は理解しています。

 教育というものが、子供の「個性」を育む使命の幾分かを負っているのなら、指導者という存在は丹念な「観察」を通して、その子供の特質を察知し、それを「見どころ」として尊重してゆかなければならないのです。