かたつむり学舎のぶろぐ

本業か趣味か、いづれもござれ。教育、盆栽、文学、時々「私塾かたつむり学舎」のご紹介。

子宝日記(10) 彼は見ている

 つい先日、こんなことを耳にした。

 赤ん坊というものは案外耳が発達していて、外界の音をよく聞いているというのは以前から知っていたのだが、視覚もまたある程度あって、腹の中でぼやぼやとしたものを見ているというのである。

 なるほど生まれたばかりの赤子にも至近距離で母親を見分ける視力はあるのだから、それもそのはずだと納得した私であるが、次に耳にした話は実に驚愕するよりほかなかったのである。

 なんとごく稀に「腹の中から外界の様子を見ていた」「お腹にいた時にきたよね」、と証言する幼児が一定数いるらしいのだ。不思議に思った親が「どうやって見ていたの?」と尋ねると「お臍から見ていた」という子もあって、いよいよ奇妙なのである。

 これはUFOやツチノコ的な類いのオカルトチックな情報なのではないかしら。文系の私も流石に疑ってかかるわけであるが、哀しい哉、私の持ち合わせの科学的知識では、とうていこれを否定することも能わず、どこかの本で「ちゃんとした証拠がないときは『分からない』と答えるのが」科学のルールであると読んだこともある。

 だとすると、赤ん坊は母親とある程度の視覚情報もまた共有していたりするのかしらん。確かに我が子は毎週水曜日の晩に『相棒』を視聴し始めると、きまってぽこぽこしはじめる性向があり、真犯人が確定する頃には、母親の顔がゆがむほどの蹴り上げをみせるのである。これはきっと彼なりに興奮しているに違いない。

 こんな一事象をして根拠と言うには甚だ浅薄極まりないものの、このところ私は結構「彼ら」の前では下手を打つまいと、神経を引き締めているのだ。「ちゃんは、ぼくが腹にいる時に、お母さんが止せと言うのにお酒を呑みすぎて、次の日えらく怒られていたね。」なんて人前で発表されてはかなわない。

 もしかすると、私もまたそんな記憶があったのだろうか。私の母は三つの私が病室の様子を語ったと言うが、そんなことは記憶の抽斗を洗いざらいひっくり返してみても、きれいさっぱり忘れてしまっている。「ことば」の世界に参入する時に、どこかへ置いてきてしまったのやも知れない。

 「彼は見ている」。まだ腹の中だから、まだアバアバ言っているのだから、どうせワケが分かるまいと思って油断していると痛い目に遭いそうな気がしてならない。

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