思えば彼女は、腹に子供がいたのだっけ。
次から次へとやってくる子供たちと、あれやこれやの応酬を繰り広げていると、こちらも自分の持てる能力の限界にチャレンジして立ち回らねばなりません。子供の鉛筆の先や表情の機微、学習の進行具合や採点状況諸々に神経を集中しているものだから、ついつい共闘している大人の皆さんに意識が向かなくなって参ります。
ようやく人々のウェーブが引いた頃に、ふと我に返って妻の様子を窺うと、少し上体を反り気味にして苦しそうにしています。「張ってる?」と尋ねると「張ってはいない。」というループを続けているうちに、そろそろ産休間近となった次第です。
開設当初から二人でやってきた教室。ここで妻が戦線を離脱するとなると、もちろんピンチヒッターを頼まねばならぬのだけれど、この教室に彼女が不在になるということがいまいち想像できない夫は戦々恐々。妻に任せっきりにしていた仕事がありやしないか、どこか教室運営に滞りが出てきやしないか、まさに前代未聞のイベントに直面した私は、今さらながらに妻がこなしていた仕事に目を向けたのでありました。
したところ、これが目から鱗の連続。よく家事の中にも「名前のない家事」がいくつも存在しているように、教室の指導外の仕事にも「ああ、こんなことも・・・」という細かいけれど欠かせない仕事や作業がわんさかあって、このまま産休に入られたら十中八九、スムーズな教室運営の滞ることが予見されたのです。
しかしながら集会所に「ほなみ教室」を移して以来、トラックから看板やらのぼり旗やら、成績ファイルを出したり積んだり、私だって指導外の仕事をしていなかったわけではありません。それでも私には私の仕事があるように、妻にも妻の仕事があり、こういう機会に立ち至ってはじめて「何だかんだ二人三脚でやってきたのだな」という実感を新たにしたのでした。