かたつむり学舎のぶろぐ

本業か趣味か、いづれもござれ。教育、盆栽、文学、時々「私塾かたつむり学舎」のご紹介。

子宝日記(15) 軟禁パパと難産ママ Ⅰ

 私は「パパ」という名前ではないし、ましてやローマ教皇でもない。だのに、どうしてここの人々は初対面の私をして、さも昔からの知り合いであるかのように「パパ」と呼び、妻を「ママ」と呼称するのだろうか。

 そんなどうでもいい違和感から、お産の立ち会いが始まった。「立ち会い」といっても、一昔前のドラマで目にするような一緒に「ヒイヒイフウ」を唱和する感じではない。子宮口が十分に開いて分娩室に移るまでの間のみ、限られた時間内で立ち会えるというものである。

 個室が空くまで自宅待機を命じられたので、来いという連絡の来るのを待って産科医院へ駆けつけると、再び「駐車場にて待て」の命令である。一〇分待っても来ないものだから、軽トラックの荷台のコンテナに積み入れた入院用品を、妻が送ってよこした「持ってくるものリスト」と照らし合わせていたところ、産院の奥の通用口が開いて防護服に身を包んだおばさんが出てきた。

 ひどく風が吹いていて、向こうが私に何やら問いかけるのだけれど、荷台をはさんで一向にむこうが何と言っているのか分からない。「旦那さんですか?」と問われたように思ったので、「ハイ、そうです。」と応じるけれど、先方は小首を傾げてなおも同じことを繰り返す。

 妻が産気づいているとあっては、流石にこちらも気が立っているものだからいい加減にしてほしい。ようやくこちらへ回り込んだおばさんは、どうやら助産師であって「コロナの検査をしにきたからとっとと車に戻れ」という旨を、不機嫌そうに述べるが、私も負けず劣らず機嫌が悪い。

 そこへきて例の長い綿棒で以てブスリとやられるわけであるから、これはもしかするとちょっとした意趣返しで、いつもより多めに刺しているのではないかと要らぬ勘ぐりすらしてしまう。それでも妻はこんな仕打ちよりも十倍、いや百倍も堪え難い痛みを引き受けようとしているのだ。

 そう思うと、こんな所でプンスカしていても妻のためにならぬのは明らかであるし、私が悪態をついたばっかりに、このおばさんに何か意地悪をされても子供のためにならない。ここは我慢のしどころである。