かたつむり学舎のぶろぐ

本業か趣味か、いづれもござれ。教育、盆栽、文学、時々「私塾かたつむり学舎」のご紹介。

盆栽教育論(15) 針金と教育 Ⅰ

○なぜ針金を巻くか

 テレビに映るような盆栽が、どうしてあんなに均整のとれた形をしているのかと申しますと、それは枝葉の一つ一つに至るまで、職人が丹念に針金をかけて整枝しているからに他なりません。

 ここが盆栽と植木の大きく違うところ。針金というバリバリの人工物を用いて、枝の方向を大きく修正したり、時には幹を捩って曲げる事もあれば、間延びしてしまった枝をコンパクトにたたみ込んだり、下の枝と結束して引っ張り下げたり・・・あらゆる手を尽くして樹を完成形に導いていくのが、盆栽をつくっていく際の基本となる方策なのです。

 もちろん、鋏だけで作っていくという方法もありますが、専門雑誌なりユーチューブなり、入門書をひもといた愛好家ならば、「一度はやってみたい!」と思うのが、この「針金掛け」と呼ばれる作業なのではないでしょうか。なにせ、太い針金を自在に操り、美しく枝に掛け渡し、そして目の覚めるような樹形をあらわしていく盆栽作家の姿は、やっぱりどうして格好イイのです。

 だから私も盆栽を始めた当初は、さてホームセンターで番手の違う針金を買い込んで、ホームセンターで手に入れたローズマリーやら、鉢植えの苗木にやたらと針金を掛けたわけですが、どうしたものか片っ端から枯れていくばかり。

 針金の掛け方が悪かったのだろうかと自問すること約一年、最終的にたどり着いた結論は「掛けることだけが目的の針金は、およそ害悪でしかない。」ということでありました。

 つまるところ、私は「針金を掛ける」ことと「樹をつくり、育てる」ことの手段と目的を見事に取り違えていたのです。針金を掛けることは、飽くまで手段であって、それによって樹格をアップさせたり、重なり合った枝を塩梅し直して日照状態や通風を改善する「目的」のために選択されねばならないのです。

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