グーを作って、そいつを妻の臀部にメリメリと圧し当てる。そうでもしないと、どうにも痛くてきばってしまうのだという。
そんな急場へぬるっと場面が展開したのは、昼を過ぎたあたり。それまでは痛みも散発的で、助産師のおばさんは「まだ有効な陣痛ではない」と言って出たり入ったりしていた。「有効」とまでは行かずともけっこう「技あり」な陣痛なのじゃないかと思うのは浅はかな素人考えなのであろう。山を過ぎるとまた落ち着いて、昼食時にはいつも茶の間でかけているNHKを点けて、非日常の側にふれた時間をちょっとばかし此岸へと引き寄せてみる試みなどもしてみたけれど、私が「こりゃ見たことのない野菜だ!」とか間抜けた感嘆の声をあげても、どうして妻はそんなアホに構う余裕もないらしい。
ちょうど私が自分の分と取り違えて妻の膳部を平らげてしまったことに気づいた時、そこに再びおばさんが入ってくる。膳部の事で何か言われる前に、早々に私は向こうを向いてしまう。それはいずれにせよ「触診しますから旦那さんはあっちを向くように」と促されるために他ならないが、あんなに「パパ、パパ」と連呼しておきながら、やはりこうした場面においては「旦那さん」と呼称が変わるのは興味深いことである。
そうしているうちに例のマシーンの「張り」を数値化したチャートがにわかに動き出し、あたかも型のイイ魚が針にかかった塩梅で、それが大きくしなりだしたではないか。これはきっと記録更新である。おばさんの居ない隙を見計らって、徐にマシーンから吐き出されたチャートの履歴を遡ると、確かに妻のお腹の「張り」は徐々にではあるが、段階的にその底の部分が押し上げられており、今やそれが未踏の高原地帯にさしかかろうとするところであった。
握りこぶしにも力が入る。「圧して、圧して」と言うから、腰骨も砕けよとばかりに圧しこんでいると、流石におばさんに止められた。「そんなに強く圧さなくてもよい」とは言うものの、当人はそうした方がラクだと言うし、一体自分がどちらの言い分を聞いたものか迷った挙げ句、おばさんに隠れて「エイエイ」と拳を妻の尻にめり込ませていたのである。