かたつむり学舎のぶろぐ

本業か趣味か、いづれもござれ。教育、盆栽、文学、時々「私塾かたつむり学舎」のご紹介。

塾生心得 「指導されたい!?」

 学習塾の門を叩く生徒諸君および保護者の皆さまは、もしかすると「指導されること」を強く期待しているかも知れません。

 「テスト対策はどうやって指導してくれますか?」と尋ねられても、私はおそらく曖昧な笑みを以て応えることでありましょう。なぜなら私は「テストのための指導」にも「一から十までの指導」にも、積極的な意義を見いだせないためであります。

 もちろん、分からないところを端的に教えることは絶対に必要なことでありますが、その一点で終わってしまうような指導は、投げっぱなしのボールのように、いつかグラウンドの隅で忘れ去られて風化してしまうものなのではないでしょうか。

 私が塾生諸君に望むのは「指導されること」で終わらないこと。つまりは指導されたことに端を発して、そこから「学ぶこと」であります。

 「学ぶこと」とは能動的に知識を自分のものとすることであり、ただ「指導されること」ばかりを求め続けるのは、どこまでいっても受動的な営みであって、その場限りの間に合わせでしかないのです。 

 受動的にインプットされた知識は、自らそれを再検討したり、復習する過程を経ない限り、必ず忘れてしまうものだと思った方がよいでしょう。その時は覚えていてテストで点を取っても、一ヶ月後にそれが何だったか忘れてしまうようでは意味がないのであり、一つ覚えて一つ忘れるトコロテン方式の思考回路は、諸君の将来を明るくするものではないのです。

 大事なのは、指導されるにしても自分で明確な目的を持った上で指導されることなのです。

 「自分はここのところがあやふやだから」「この部分のつながりが分からないから」・・・教えて! と言われたら私は諸君の回路(理解)をつなげる努力を惜しまないでしょう。

 最終的な目標は、諸君にとって私がそんなに必要でなくなる状態の完成であって、「自分で学べるようになること」こそが、わが学び舎の理念なのです。

 だから私はいつも諸君が、自分で学べるようになるように指導をするのであり、「先生、ここはこんな風にも考えられるのじゃない?」と一本とられる日を愉しみにしているのであります。

 「細かい理屈はいいから、手っ取り早くテストの点を上げたい」、「とにかくぜーんぶ教えて欲しい」ですと? 申し訳ないが、そんな人々は他をあたって下され。