かたつむり学舎のぶろぐ

本業か趣味か、いづれもござれ。教育、盆栽、文学、時々「私塾かたつむり学舎」のご紹介。

弟子達に与うる記(24) 私の師匠Ⅱ

○愉しき「叩き合い」 

 後年、ネタばらしをしてくれたのですが、やはり私はまんまとハメられていたらしく、それを画策したのは他でもない師匠その人だったのです。

 気にくわなかったり、到底興味を持てない必修授業についてはとことん不真面目であった私も、イチロー先生の近代文学概論の授業は欠かさず出席していたものでした。おそらく先生はそこで目をつけて、どこのゼミにも属さずぷらぷらしている私を引っかけてくれたのでしょう。

 それにしても、どうやってそこまで私のぷらぷら状況をリサーチしていたものか、あんなに書類関係の仕事が大嫌いで、本とプリントの山を雪崩れさせながら捜し物ばかりしていても、人の心の内と文学テクストの〈読み〉はキレッキレ、言葉に対する感度はいつでもビンビンであるのが私の師匠。

 私の他にもそうやって拾われた人々は数知れず、そんな一匹狼系の人々が寄って集って喧々諤々の議論をぶつけ合うのがイチロー先生の「昭和文学ゼミナール」でありました。毎週月曜の午後六時にはじまって、時には十時を回ることもめずらしくない。

 発表者の切ってきたレジュメ、つまりはテクストの〈読み〉を、上級生下級生問わず「叩き合う」。叩き合うと言っても、もちろん文句やケチをつけあうのではなく、テクストの解釈や発表者がしてきた〈読み〉の論理的矛盾をめぐって、とことんまで議論するというのが「昭和ゼミ」のスタイルでありました。

 このスタイルは他のゼミの人々には密かに畏れられてきたわけですが、やはり私の学問に向き合うスタンスはここで学んだと言っても過言ではありませんし、言葉によって論理的に思考する能力もここで鍛えてもらった次第です。

 何せ半端な〈読み〉を引っ提げて発表に臨もうものなら、ボコボコにぶっ叩かれて総崩れになるわけですから、発表前の土日などは締め切りに追われる作家のごとく家居に閉じこもって、テクストと己の論理とをとことん練り上げるということをしました。

 そんな経験もまた、自分の大きな糧となったし、何より先生や院生をはじめ、時にはOBさんも交えて議論を戦わせる場数を踏んで、大いに度胸も付きました。そして何より、意見の異なる誰かと議論し、互いの意見を主張しあったり、反論したりする機会がいかに得がたいものであるかということは、大学を出てからしみじみ実感されたものでした。

 そんな場所に私を誘い入れてくれた師匠には、感謝してもしきれませんし、叶うことならばもう一度そんな場所に舞い戻って、血湧き肉躍る論戦に身を投じたいものです。