かたつむり学舎のぶろぐ

本業か趣味か、いづれもござれ。教育、盆栽、文学、時々「私塾かたつむり学舎」のご紹介。

弟子達に与うる記(25) 私の師匠Ⅲ

○関谷研の春秋 

 こんな春日の午後に、ふとあの研究室に帰って、いつものように先生とそこにたむろするゼミの人々にお茶でもいれたいと思う自分があります。

 「研究室」と言っても、今めかしい白色煌々たる研究室ではありません。理数系の研究棟はすっかり建て替えが済んでいるのに、人文系のそれには文学心をくすぐる(?)闇がまだ身近なところにたくさん残っていました。

 イチロー先生の研究室には、地震が来たら危険そうな書架こそあれ、おそらく諸君が思い描くような「○○教授」的な厳めしいネームプレートの置かれたイカツイ机が無い代わりに、会議用の長テーブルが二台と、さっきまで明らかに誰かが寝ていたソファーがある。授業がない空きコマだとか、ただ何となく立ち寄ったゼミ生たちが、ふらりとここへやって来てはお茶を呑んで四方山の話をしたり、発表の打ち合わせをしたり書籍を漁る傍らで、先生もまた同じテーブルでパンを食ったり、メールを打ちながらうたた寝をしていたりする。ゼミ終わりには、ここに参加者がわんさか詰めかけ、夜が更けるまで酒盛りをするわけで、その中心にいるのはもちろんイチロー先生でありました。

 酔っ払った人々がパイプ椅子でガンガンするものだから、床のタイルはほとんど砕けて土間みたいになっており、そこに泥酔した先生が椅子からずり落ちたまま眠るなんてことも年に数回。他の研究室に比べて食べ物が豊富に落ちているせいか、ゴキブリの出没が頻発。食器棚の片隅に設置したゴキブリホイホイに一匹が掛かると、すかさず先生が「類は友を呼ぶから」というので、あえてそのままにしておくと、何も知らない新入生が悲鳴をあげるのを、先生はじめ魔窟の住人達がニヤニヤして見守る。

 今思えば、私が学生の当時ですら、こんなオープンで学生思いな「研究室」は希有だったのやもしれません。それもこれも、来る者を拒まないイチロー先生のおおらかさの為せるワザ。学問の師としても、私は先生からたくさんのエッセンスを学んだわけですが、それに負けず劣らず、その人間性に対して私は限りない「ゆかしさ」を覚えるのです。

 「こんな時、先生ならば何と言うだろうか。」自分が「おっ、これは・・・」という状況になったとき、ふとそんなことを思う自分があります。自分の去就や思考を決定するとき、「師」という存在はその人にとっての貴重な参照項となるのだと私は思います。もしかすると諸君もまた、大学でそんな「師」に巡り会うやも知れませんね。

 そんな時は、ただ受動的に教えを受けるのではなく、吸収すべきところを積極的に吸収し、そこで生まれた疑問や考えをしっかりと形にして、師匠に再び投げ返すにしくはありません(果たして私はそれが出来ているのだろうか…)。きっと諸君が見つけた師匠は、それをがっぷり四ツに受けとめて、素敵なリアクションを返してくれるはずであります。