かたつむり学舎のぶろぐ

本業か趣味か、いづれもござれ。教育、盆栽、文学、時々「私塾かたつむり学舎」のご紹介。

文房清玩(3) ノート Ⅰ


 四月のノートが好きだ。

 あの真っさらな一ページ目に書き入れる最初の文字は新鮮な緊張に満ちていて、そして妙に遠慮がちである。その緊張がいつまで続くかは人によるのだろうが、真っさらなページが遙かに優勢を占めている分、四月のノートには三月のノートが忘れた成分が多く含有されているらしい。

 三日坊主で打っ遣ったノートも数知れず。机を整理する度毎に、小学生の字で「○○のノート」と銘打たれた用途不明のノートが出土するわけであるが、これはおそらく「四月的緊張」だけを喫して満足されてしまった不幸なノートに違いない。

 一例を挙げよう。ここに、飼っているカメの伸長が一日おきに記録されたノートがある。三日を通り越して、四日ほどカメの伸長記録が続いているけれど、そこで記録は途絶えている。それもそのはず、カメの伸長なぞ毎日定規で測定したところでめざましい変化のあるわけもなく、寧ろよくぞ四日も粘ったものだと自分を褒めてやりたい気さへする。四日ほど新しいノートを味わった少年は、早々に観察から手を引いて足かけ二十有余年そのカメを育て続けている。

 ノートの話に戻ろう。

○「大学ノート」今昔

 私はいつも塾生にノートブックを買い与えているわけであるが、最近の「大学ノート」は素敵に進化を遂げているらしい。これが私の学生時代にあらばやとおもへども甲斐なく、よろしくわが後進にその有効活用を期待する次第である。

 製本において綴じ目がかなりフラットになったのもさることながら、何と言っても罫線にドットが入ったことは革新的であった。私は「Campus」ノートを好んでチョイスしているが、ちょっと込み入った関数のグラフを手書きする場合にも、このドットは優秀なガイドとなるし、文章を書く場合にも方眼罫のように規格の揃った字を並べることが出来る。

 まさに願ったり叶ったり。そのうち大学受験の解答用紙にもこんなドットが印刷せられたりするのではなかろうかなんて予言をしつつ、あの頃の潔い罫線を少し懐かしく思う自分もある。