かたつむり学舎のぶろぐ

本業か趣味か、いづれもござれ。教育、盆栽、文学、時々「私塾かたつむり学舎」のご紹介。

文房清玩(4) ノート Ⅱ


 私が日々使用しているノートは二種類。一つは万年筆で筆記する日記帳であり、いま一つはシャープペンなり鉛筆を用いて筆記する雑記帳である。まずは万年筆用のノートブックより話を進めて行くことにしよう。

○「Premium C.D.NOTEBOOK」(方眼罫)

 こうして記述するにあたって、今ようやくこのノートブックの正式名称らしきものを探り当てたわけであるが、『書き心地で選ぶということ』とコンセプトが銘打たれてあるように、なるほどインキを用いて筆記する上で、およそこの紙はストレスがない。

 藁半紙などはもってのほか、ちょっと表面の粗い紙などは万年筆の大敵であって、これにゴリゴリと文字を書き付けていると、直ぐとペン先に紙の削れたゴミなどが溜まって、文字が惨めに潰れたり滲んだり、とてもではないが心静かにものなど書いていられない。

 そこへきてこのプレミアム某のノートは、さらさらと文字が書ける上、インキのノリもよい。インキのノリが良好でも、いつまでもそれが生乾きで辟易させられる紙もある中で、やはり『シルクのよう』でありながらインキ大歓迎の紙は重宝しないわけがないのである。

 それともう一つ、ノートにおいて忘れてならぬのが「綴じ目」の問題である。いくら紙にこだわったノートであっても、ページ数が嵩んでくると綴じ目が邪魔をして書きづらくなってくるノートがある。綴じ目が作り出した断崖に泣かされた経験は数知れず、あの谷の部分に何とか手首をあてがってみてもダメなものはダメで、結局のところ無理して書いた字が着地に失敗して複雑骨折したり、最初の行を泣く泣くセットバックせねばならないハメになる。折角ここまで丁寧に書き進めてきたものを、そうしたイレギュラーに晒すというのはどうにも忍びないものである。

 だから「綴じ目」がフラットであるということは画期的で、使い始めから書き終わりまで文字を書くことに対する憂いがないというのは、何よりも悦ばしいことである。このノートにわが日記をつけはじめてかれこれ十年ほどになるが、書いているペン先の思考を鈍らせることのない道具は、私の頼もしい味方である。目的に対してその存在を忘れさせるものこそが、本当に優秀な「道具」であるのやも知れない。