かたつむり学舎のぶろぐ

本業か趣味か、いづれもござれ。教育、盆栽、文学、時々「私塾かたつむり学舎」のご紹介。

蝸牛随筆(23) 善男善女のライブ Ⅰ

 巡る季節の中で、私は春と秋の彼岸の頃の日和が好きである。

 苛烈を極めた夏の太陽と炎熱を、さらりと吹き流す風の立ちはじめるのが秋彼岸の頃合いであり、芯まで凍える冬の寒さがどこか遠い忘却の彼方へと去るのが春彼岸の頃合いである。近くなると、お寺から法要の案内が届く。お寺のお便りと一緒に塔婆の申し込み、法要日程の案内が入っていて、さて今回は中日の午後あたりに拝んでもらおうかしら、という具合になる。

 別に、どの日取りのどの時間でも法要の内容に変わりがあるというわけではないのだが、注記にもある通り、混み合う「入り日」と「中日」の午前中を避けて午後の部をチョイスする。それは読経後の説法において、和尚さんがだいぶリラックスしてお話をされている気がするためである。おそらく、こんな理由でわざわざ午後をチョイスする檀家も私くらいであろうが、やはり硬い説法よりも和尚さんのお人柄が感じられる言葉を聞きたいと思うのである。

 時にお寺ジョークを交えつつ、仏教の戒律や考え方を拝聴する。「戒律」なんて言っても、それは決して特別なことではない。妄りに大酒を呑んだり、人を傷つけるような下手なウソ(人を教化する上手いウソは「方便」と呼んだりもする)をついたり、些細なことで怒り散らしたり・・・実に耳が痛い部分もなくはないけれど、こうした人間のサガを正面から戒めてくれる場所なんて、お寺をおいて他にない。

 和尚さんだって、それを聞いている我々が普段から「不妄五戒」を守れているとは思っていないだろう。そこのところをちゃあんと分かった上で、「こんなことしてませんか?」と優しく諭されると、普段は小難しい理屈を並べる私も、照れ屋の小僧さんみたいにちょいと頭を掻きたくなってしまうのである。
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