かたつむり学舎のぶろぐ

本業か趣味か、いづれもござれ。教育、盆栽、文学、時々「私塾かたつむり学舎」のご紹介。

教育雑記帳(52) ベンキョウとブカツ


 皆が学者レベルにならねばならない、というわけではないのです。社会生活の中で、他者との関わりの中で最低限、論理的にものを考え、自分の行動を決定したり、適切な言葉を使ってコミュニケーションを行えるようになることこそが、学校教育もとい国民皆学の本懐ではないのでしょうか。

 そうした能力の養成が不完全なまま義務教育を終えていくことなど、学校教育の失敗以外の何物でもないのです。私が身を置く地方と都市部の学力格差は、目を覆いたくなるようなものです。都市部と地方部に生ずる格差の根底にあるものは、如何ともしがたい「教育機会の貧困」と、それに下支えされた教育に対する無関心であります。

 わざわざ塾などに通って勉強しているのは一部の「熱心なウチ」だけで、周りに勉強していない人が大多数であれば必然的に「そんなに勉強をしなくてもよい」という意識が醸成されるわけです。そんな意識に拍車をかけるものこそがブカツであり、「こちらを頑張っているからベンキョウは仕方が無い」という免罪符の発行に一役も二役もかっている。

 ブカツやスポーツ少年団によって家庭学習の時間を厭が応にも簒奪され、たまの休みは隙あらばスマートフォンに齧り付く。でもそれはブカツで忙しいから仕方の無いこと・・・そんなサル的な思考の悪循環から抜け出せない子供及び家庭の問題は、これからより一層深刻の度合いを増してくることでしょう。

 こうした憂慮すべき状況に無自覚な親たちの子供に危機意識が芽生えるわけもなく、目先目先のテストの時だけベンキョウらしきことをして、テストで点を取るための小手先の知識ばかりを意味も無く暗記する。そこへ漬け込んで高いお月謝を払わせる「定期テスト対策」を謳う学習塾。中には「どこの学校のどの先生が作ったテスト」のバックナンバーを完備する手の込みようには、全く以て呆れるばかりです。果たして、これのどこが勉強でしょう。テストが終わって内容を忘れてしまうベンキョウなどしない方が賢明なのです。

 勉強とは論理的思考を鍛えるためのトレーニングであって、テストで点を取るための小手先の技術習得「ベンキョウ」であってはならないのです。そんなことをしているうちは、いつまでたっても一つの単元や概念の大局的理解には至らないし、整理されない曖昧模糊たる思考に、近視眼的な判断力を打破する光明が射し込むわけもないのです。