かたつむり学舎のぶろぐ

本業か趣味か、いづれもござれ。教育、盆栽、文学、時々「私塾かたつむり学舎」のご紹介。

蝸牛随筆(27) でんしすと Ⅱ


 私がその典型であったわけだが、日本人は歯が悪くなるまで歯医者に行かないのだそうである。悪くなったらそれをお医者に治してもらう、という観念が強いあまり「悪くなる前に行く」という発想がそれほど根付いていないのだろう。

 「検診」と言われても何をされることか、小学の折りに素敵な早さで歯を検査されたこともあったが、まさか予約まで取っておいてそんな単簡な調べ方で終わるわけがない。虫歯の有無はもちろんのこと、磨き残しをチェックするということもあるだろう。そして他には・・・、残念ながら私の歯医者における想像力はそこで頓挫してしまう。

 大学の頃だって一度も世話になっていないから、十年は優にご無沙汰している。その間に先生も代わられて別な歯科医院になっているため、まっさらの初診扱いである。問診票を記入しながら、早速「本日来院された理由」にぶち当たる。

 だからここは出がけに家内から言われた通り「検診をお願い致したい。」と記入し呼び出されるのを待った。明るい待合室には何やら小気味よいBGMが流れ、小上がりに置かれたテレビモニターには常夏の島らしきビーチサイドの風景が映し出されている。なるほど、施術を前にした人々の不安や恐怖を和らげるという趣向であろう。

 椰子の葉陰に据えられたウッディな寝椅子とテーブル。その卓上にはトロピカルな色合いのジュースを容れたグラスが汗を掻いており、中央には拳大の「何か」が多分きっとお洒落をねらった感じで据えられてある。

 それは貝殻のようでもあり、乾燥した珊瑚のようにも見える。しかし、それが「何か」確定しないがために、人間というものは矯めつ眇めつ「何か」を見続けてしまう習性があるらしい。よくよく見ていると、その貝殻らしきものは動物の骨、ことに肩甲骨らしくも見えてくるし、終いにはそれが顎の一部で、細かに寄った襞が「歯」のようにすら見えてくる。

 そういえばこの寝椅子に掛けていた人物はどこに行ったのだろうか。トロピカルなジュースを頼んでおきながら、それに口を付けることもなく・・・。ビーチサイドの葉陰には言いようのない不在の気分が漂っていた。

 私の名前が呼ばれる。卒爾、私はその不在の理由を直覚し、慄然とした。この寝椅子の人はきっと先に呼ばれたのだ。その人はいま歯科治療を受けているのだ、と。