かたつむり学舎のぶろぐ

本業か趣味か、いづれもござれ。教育、盆栽、文学、時々「私塾かたつむり学舎」のご紹介。

蝸牛随筆(30) でんしすと Ⅴ


 私の肝いりの「爪楊枝」は、歯科衛生士のお姉さんにあっけなくスルーされた。伝統的な歯科衛生法の決定的な敗北である。がっくり肩を落とした浪人風情の男が、楊枝を咥えていづかたへか去って行く姿が脳裏を過った。

 「では、ちょっとお口の中確認していきますねー。」と言うが早いか、口腔内に金属の冷たさを感じる。かこかこと歯に中る具合からするとミラーであろうか。すると今度は明らかに尖った切っ先が奥歯とそのあわいの不分明な部分に中った。

 「痛い。」と発することが出来ない時、人間というものはそれに代わる何かしらのアクションを取るものらしい。診察台に投げ出した片足がピンと突っ張ろうとするのを必死で堪える。なぜここで堪えようとするのか、という点についてはあえてノーコメントとしておくが、私が必死で痛いのを秘匿しようと努力しているにも拘わらず、お姉さんは「ごめんなさいねー、痛かったですねぇ。」と言う。

 完全にバレている。これは実に不思議なものであるが、その後も私の無言の「痛い」は全てお姉さんによって見抜かれるところとなり、最早隠してもガマンしても全てお見通し。一体どこで私の痛みを感知するものかしらん、もしかすると歯科の人々は「舌」の微細な動きや、表情筋の微かな歪みを具に読み取っているのやも知れぬ。

 そんなところまで自分の身体を統御出来たら、それは達人の域にある人であろう。奥歯は突かれて酷く痛みを感じたが、順繰りに進んでくると同じ強さで押されているのに、全く痛まぬところもある。

 「では出血を見ていきますねー。」とお姉さん。貴女はいったい私の口腔内を「出血やむなし」で突いていたというのか・・・舌先には既に血の味がしている。どうりで痛いわけであるが、わざわざ出血の有無を確認するということは、本来ならばこれは「出血しない」のが普通なのではないか。果たして私の口腔内は、えらいことになっているのではなかろうか。

 漸く兆した不安と共に吐き出したすすぎ水はやけに赤く映じた。
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