定規。いつも筆箱の底の方で意外と嵩張っているものだからフタが閉まらない原因にもなれば、お呼びでない日もしばしば。単元によってはしばらく日の目を見ない日だってあるし、長じてフリーハンドで関数のグラフを書くようにもなれば、およそ第一線から退いてしまう。それが学生と定規の定番の物語ではあるまいか。
私は定規に関して特段コダワリがあるわけではないものの、いざ定規を買う段になると面倒見のよい大家さんみたいに小うるさくあれこれ注文を付けはじめるものだから、結果的に定規に対するコダワリは強い方なのかも知れない。愛用している定規、あるいは思い出に残る定規について、訥々と語ってみようと思う。
●昔ながらの物差し
現代っ子のお道具箱に「物差し」と名の付くブツは入っているのかしらん。
竹製の三十センチ定規、数字の代わりに黒い点と赤い点が並んでいるものだから、分からない人々にとってはまさに意味不明な道具であること請け合いである。
残念ながら私はこの物差しを「便利だなぁ」と思った経験はなく、何かあればすぐに自分の筆箱から銀行さんにもらったバンク名入りの十五センチ定規を取り出して用を足していたものである。ちなみにこの最初のお気に入り定規は、家居において一度紛失し大泣きした思い出がある。
「物差し」。あてがってみると下の文字は見えないし、慣れないと読み取りづらいし、けっこう厚みはあるし、紙を切ろうとすると滑って大惨事になるし、マジックの色を吸ってしまって取れない・・・。
そんな物差しが一躍脚光を浴びるのは休み時間であり、定番のちゃんばらであるとか、セロテープの台を持ってきて机に固定し、弾力を活かした消しゴム飛ばし装置として、物差しはけっこう人々の愉しい時間のお供をしていたのである。