かたつむり学舎のぶろぐ

本業か趣味か、いづれもござれ。教育、盆栽、文学、時々「私塾かたつむり学舎」のご紹介。

塾生心得 国語力とは何か Ⅰ


●文系ですが何か?

 私はバリバリの文系でありますが、気がつけば塾生に微積分を教えたり、漸化式をレクチャーしたりしていることもしばしば。そんな事だから、私はぜひとも国語の講義をしたりテクストの〈読み〉についての意見を交わしたいのに、人々が数学の問題を抱えてやってくるようになったわけなのですが、まぁそれはそれで良いのです。何せ全ての学問の根底には、多かれ少なかれ国語の学習によって培われる力があるのですから。

 「文系だから」数学はニガテでよいとか、理科をガン無視してよい、という風潮は縦割り主義の弊害もいいところです。一つの専門を決めたら、それだけやっていればよい、いやそれ以外をやってはいけない、という風潮こそが学問分野や学生及び社会人の知的活動の営みを妨げる大本となっっているのです。

 学問とは自分が不思議だと感じたものに対する問いかけからはじまります。文学を研究しながら宇宙について論じてみてもいいわけですし、パスカルスピノザといった、いにしへの大知識人は分野を大胆に横断しながら優れた業績を遺しています。

 ですから文系であるとか、理系であるとかといった区別は単なる処理上の区分けと見た方がよいのであり、それをさも絶対化されたもののように見てしまうからこそオカシナことが起こるのです。理系と区分けされる人の中にも優れた文筆家はあり、文系の中に数学を愛している人間がいてもよいのです。

 私は「国語」という教科を、全ての学問の入り口であると考えています。ここで言葉とその言葉によって理屈を考えていく力を身につけることこそが全ての教科、学問を学び深めていく最初の一歩なのです。

 「国語なんてさぁ」「国語はまぁ分かるからダイジョブです」なんて言うなかれ。そうやって国語を疎かにしている人々こそ、他教科における言葉の定義や論理展開が分からずにヒイヒイ言っているのではないでしょうか。文系でも理系でも、国語が出来なければロクなものにはならないし、何を〈読む〉こともままならないのです。