かたつむり学舎のぶろぐ

本業か趣味か、いづれもござれ。教育、盆栽、文学、時々「私塾かたつむり学舎」のご紹介。

盆栽と暮らす(2) 水をやる日々 Ⅰ

●水やりもまた

 趣味家がするという盆栽というものを、これまで無縁だった自分もしてみよう、と思い立った人が第一に突き当たる障壁が「水やり」というものではないでしょうか。

 盆栽は水をやれなくて枯らしてしまいそうだからサボテンにする。というのは結構あるあるな話なのかもしれませんが、盆栽の水やりというものは慣れてしまえば「歯磨き」や「お風呂」くらいの日課になってしまうものです。

 何せ、はじめた頃は四六時中いぢくりまわしていたい蜜月状態。その時にしっかり水やりのタイミングを研究しておくことで、蜜月後の日々も何となく「そろそろ鉢が乾くころだなぁ」という肌感覚が身についてきます。



 農耕民族の血なのかどうかは定かではありませんが、こうした感覚だけは普段ズボラな私でも意外と鋭敏に働くもので、最近は出先であっても自分の棚場の鉢の乾き具合が一鉢ごとにイメージ出来るようになってきた次第であります。

 盆栽と暮らすということは、この「水やり」に象徴されるように、人間の生活リズムの中に樹の生活リズムが乗り入れるということなのやも知れません。自分の事、他人の事だけでなく樹の事もまた同じ水準で意識の俎上に登場し、時には仕事の事を考えているフリをして真剣に盆栽の事を考えていたりもするわけです。

 しかしながら、そこには不思議と煩わしさもなく、盆栽の事について考えるターンが回ってくるとこれまた不思議にリラックスすることができるのです。それ故、日に一度、二度と回ってくる「水やり」の時間は、作業というよりも寧ろ必然的にリラックスせねばならぬ時間になってくる。何ならそのまま仕事をほっぽらかして、鉢の草を抜きはじめたり樹に話しかけては、次の樹形構想について相談を持ちかけたりしている始末。

 「ヤバイ、そろそろ赤ん坊のミルクを作らねばならぬ」と今度はジョウロをほっぽらかして勝手口へ駆けていく盆栽愛好家。今度は赤ん坊に水やりならぬミルクやりをする模様であります。