かたつむり学舎のぶろぐ

本業か趣味か、いづれもござれ。教育、盆栽、文学、時々「私塾かたつむり学舎」のご紹介。

蝸牛随筆(37) 相撲を観ながら Ⅱ


 私の先生はよく研究室で相撲をかけながら、メールの返信作業もそこそこに、あらぬ方向に首を曲げて寝ていたものである。もしかすると相撲中継の、あの呑気さ八割に聞こえるアナウンスには視聴する人をして眠気を誘わしむる効果があるのやもしれない。

 四限の講義が終わったら、真っ直ぐ研究室へ行く。「センセー、相撲、観に来ました」と入っていくと、「おっ、そうだった!」とばかりにテレビを点けてくださったものである。もちろん手もとに形だけ広げた書物も、先生のメールもその進捗がはかばかしいわけはない。

 その当時は全盛期の白鳳に、安馬(日馬富士)、鶴竜稀勢の里が鎬を削っていた時代だったかしら。それに栃煌山もいたし、琴欧洲琴奨菊、そうそう私が好きだった若の里旭天鵬も健在だった・・・。そんな顔ぶれを思い出しつつ相撲中継を観ていると、驚くべきことに土俵下に紋付き袴、ずらりとお馴染みの顔ぶれが並んでいる。

 向正面にどっかと腰を下ろしているのは私が大のファンたりし魁皇である。熱心に相撲を観始まったのは中学生の時分、その頃は朝青龍が絶対的な強さを誇っていたのを、さて誰が連勝を止めるのかしらと固唾を呑んで見守っていたものである。朝青龍キラーの栃東に、武双山、そして魁皇大関陣はたいへん充実していた。

 横綱を頂として大関、三役に名力士が固まっていると、それはあたかも秀麗なる名山を仰ぎ見る壮観さで、たとい時代が移ろうともそれをつい昨日のことのように思い起こすことが出来るのやも知れない。

 相撲を観る度に、私はいつしかあの時代、この時代にタイムスリップする。うたた寝に聞く中継の音は、いつの時代も変わることのない一定のリズムを刻んでいる。