かたつむり学舎のぶろぐ

本業か趣味か、いづれもござれ。教育、盆栽、文学、時々「私塾かたつむり学舎」のご紹介。

蝸牛随筆(36) 相撲を観ながら Ⅰ


 相撲がはじまると、ああこの季節が来たという気分になる。夕方の四時から六時まで、耳慣れたアナウンスとさざ波のような歓声を聞きながら、本を開いているのが私にとって現時点でいちばんのゼイタクである。

 もちろん一五日間の場所中、毎日相撲中継が観られるわけではない。忙しい平日などは夜中の「大相撲ダイジェスト」を録画して、ただでさへ色んな所が端折られているにも拘わらず、取り組みと取り組みの間を早回しで観ることもしばしばであるが、こんなことをしていると、まるで自分が縁もゆかりもない「Z世代」になったような気さへして、そのせわしなさを恥じ入るばかりである。

 そんな時こそ「ゆとり世代」の本領を発揮するべきだ、と言いたいわけではないけれど、やはり大相撲は四時から六時までたらたらと観続けるのがよい。「コスパ」「タイパ」と言葉までつづめて費用対効果やら時間効率を重んずる昨今の風潮に敢然と背を向けて、そこには「相撲を観る」というあらん限り非効率的な愉しみがあるのだ。

 つまるところ、それはヒマを得る愉しみではあるまいか。塩を撒いたり、時間いっぱいまでゆるゆると仕切りを重ねて、ようやっと取り組みがはじまる。相撲通はきっとこの仕切りまで齧り付くようにして観るのやも知れないが、贔屓の力士は別として私は実にそのあいだ、ヒマである。

 ヒマだから好きな本をそぞろ歩きのように覗いてみたり、ヘタをするとそのまま居眠りをこいたりしていると「ハッケヨイ」の掛け声でうっすらと目を覚まして、申し訳程度に取り組みを観戦している体たらくである。

 果たしてこんな私が相撲ファンと称したら、きっと筋金入りの相撲ファンに張り倒されることだろうが、私はそんなのんべんだらりとした時間を提供してくれる相撲が好きである。