かたつむり学舎のぶろぐ

本業か趣味か、いづれもござれ。教育、盆栽、文学、時々「私塾かたつむり学舎」のご紹介。

2022-10-01から1ヶ月間の記事一覧

秋の展示会 自作解題➁

高足台 ○真柏(シンパク) 半懸崖・吹き流し風 黄色い鉢が似合う、ハイカラな奴。 最近ついに念願のシャリ(舎利)を入れたらしいのだけど、本人は「なんか白すぎんじゃね?」とブーブー文句を言っている。 「だって、急だったし・・・」「だったし?」「タミヤカラ…

秋の展示会 自作解題①

棚飾り(漫画のカット順に) 棚は山をイメージして飾る。麓に落葉樹の林が広がり、山巓には常盤木の緑が冴える。さて、床の間に拵えた小山に徳利でも提げて行こうよ。○黒松 半懸崖 安全ピンで曲付けされた苗(初心者ホイホイ)を「ムサシ」で買い求めて四年。当…

弟子達に与うる記(16) ゆかしい方へ

興味がないものを研究の対象に選んだところで、そんなものが研究になるわけがないのです。自分が「ゆかしい」と思えるからこそ、研究が出来るのです。 世の中には「大学を出ること」だけが目的のような人間もいますが、それはどこまで行っても学問と主体的に…

弟子達に与うる記(15) 学問のカタログ

大学とは、一つの大きなカタログであります。 それは学問のみにあらず。そこには様々な考え方をもつ人間が入りみ混じれ、それぞれが何かしらの「ゆかしさ」を求めて奔走したり、彷徨ったりしています。 大学一年生になった諸君はまさにそんな、どこから手を…

蝸牛随筆(2) マスク美人

近頃だいぶ美人が多くなった。 どの女性も実に目元が美しく際立っている。あのマスクの下もかくやと、イメージを膨らしている自分がある。 そうなると、マスクは一つのキャンバスみたいなもので、そこに隠された鼻であったり口や頬を勝手次第に描き込むなど…

教育雑記帳(33) 本を読む子/読まない子 後篇

日頃から「本を読まない」、語彙数が決定的に不足がちな彼らは、どのように文章を理解しているのでしょうか。 おそらく彼らは、たとえそこに分からない言葉があったとしても「分かったつもり」でそのまま読み飛ばしていることがほとんどだと思います。 これ…

教育雑記帳(32) 本を読む子/読まない子 前編

何でもかんでも二分法で考えるのは、教科書の定番になっている評論みたいで気が引けますが、こればっかりは断言できます。 本を読む子/読まない子との間には、厳然たる「/」が存在します。 教室で学習している子のとある反応を見るだけで「ああこの子は読…

子宝日記(2) つわりの話

男になむ生まれついた私は、女性が毎月のように苦しむ「生理」が如何に痛くてツラいものか、「つわり」が如何に苦しいものか、頭では理解しているつもりであるけれど、やはり正直なところよく分からない。いや、分かれないのである。 だったら無関心でいれば…

塾生心得「10月のお便り」

暑さもお彼岸まで。すっかり秋の風が入って、ようやく過ごしやすい季節になりました。 ナントカと秋の空は変わりやすいとは申しますが、受験や進学を考えているみなさんの気持ちにも様々な変化が現れてくる、というか現れてくれないと困るのがこの季節です。…

教育雑記帳(31) 渡り鳥に告ぐ

取りあえず通わせておけばよい学習塾なんてありません。 世の中にはどうも、そこのところが分かっていなくて、青い鳥を捜して塾を渡り歩くワンダー・フォーゲル(渡り鳥)が一定数あるようですが、残念ながらそうした親子に安住の地はありません。 かつて私も…

塾生心得「言語化してますか?」後編

「参勤交代」が何かを説明するためには、その歴史的意義はもちろんのこと、それを説明するための「江戸幕府」であるとか「大名」の位置づけであるとか、諸々のキーワードについても語れる状態でなくてはいけません。 これが出来ていないからこそ、結局のとこ…

塾生心得「言語化してますか?」前編

「参勤交代」とは何ぞや! という先制パンチを受けて、そいつをひらりとかわしながら「それは、江戸幕府が」云々と講釈をはじめられた君は大丈夫。多分この先の話を読まなくとも、もう既に肌身に染みて分かっていることだろうから、別の記事を読むがよろしい…

子宝日記(1) 序

もう少し早く書き出す予定が、六ヶ月も経過した今になってようやく出発する体たらくである。 暗い池に浮かんだ泡のような写真を見せられて、これがお前さんの子だ、なんて言われても実感が湧かない。抽象的で、あまりに抽象的で、私はその写真をぐるぐる回し…

蝸牛随筆(1) 子供はお好き?

「こんな仕事してるんだから、さぞかし子供が好きなんでしょう?」という質問を受けることもしばしば。 ちょっと質問がざっくりし過ぎていて、どう返答してよいものか、私がうんうん首を傾げていると先方は既にして「やっぱりそうなのね。」という顔をしてい…

軍隊学校之記(18) 加奈陀旅行記Ⅱ

英語が通じない。 もちろん全然単語が出てこないというわけではありません。寧ろ単語なら通じるのに、私が必死こいて捻りだした構文が一向に通じないのです。 日々の暗誦で(無理矢理)培われた例文を、ジャンク屋のごとくあれこれ取っ替え引っ替え組み合わせ…

軍隊学校之記(17) 加奈陀旅行記Ⅰ

スチームに蒸されて暑いのか寒いのか判然としない寝室の分厚い窓には、厳かな冬の夜が来ている。時差ボケに悩みつつ輾転反側しているうちに、夜も大分更けたらしいけれど、隣の部屋からは、先ほど地元のパーティーから帰宅したらしいカナディアン・カップル…

盆・再考 鑑賞のすすめ

盆栽の鑑賞について、何かマニュアル的なものを語ってみようと思ったのですが、そんなケンイ的なものをしゃちこ張って云々申したところで、寧ろ胡散臭い感じがします。 確かに絵画の世界ですと、感性に従って観るのにはどうしても限界があって、時代的考察や…

弟子達に与うる記(14) 自分なりに

初めて一人暮らしてみて、それに段々慣れてくると何だって融通が利かせられるようになってくるものです。 掃除を割愛してみたり、カラオケで一晩歌ってみたり、洗濯物を干しっぱなしにして、そこから着ていくものを選びはじめるなんて無粋なマネも平気でやっ…

弟子達に与うる記(13) くらしのいろは

「気ままな一人暮らし」とは言うけれど、それはけっこう一人暮らしに慣れてからの話です。 受験生をもう一度体験できますよ? なんて言われたら私は二度と御免だけれど、一人暮らしてみると「受験生をやっていた」と言うより「やらせてもらっていた」という…

教育雑記帳(30) 時には風のように 後編

自分の声を子供に届けたいのであれば、「聞かせる」のではなくて「聞いてもらえる」よう心を砕かねばなりません。そんなことは、小学校で習うことのようですけれど、あれこれ忙しい現場ではついつい疎かになってしまうこともしばしばです。 釈迦が弟子達に「…

盆人漫録(19) コンクリート事件

沼田さんが教室に持ち込んだ初見の五葉松。寝起きみたいな頭で、ところどころ枝がトンでいるものの、どうして葉性も古さも悪くありません。 講師の平先生が来たら手をかけてもらうのだ、といつもの他力本願っぷりを発揮していますが、そこに連絡が入って本日…

盆・再考 樹形というデフォルメ

上手な似顔絵を見た人々は、口々に「○○っぽい」「似てる!」と感嘆するけれど、写真をみてまさかそんなことを言う人々はいないでしょう。 こんな樹が山の中にありそうだ、と人々に思わせるためには、そのものを見せるよりも「っぽい!」と直感させるものの方…

盆・再考 樹形とは何か

盆栽とは自然を模倣する遊びです。人の手が自然の似姿をこしらえる不自然さのうちに、逆説的な自然を感じるというのが、盆栽を通して見えてくるわが国固有の文化なのかも知れません。 そんな盆栽には「樹形」と呼ばれるいくつかの型が存在します。必ずそれを…

弟子達に与うる記(12) 男子厨房に入れ

この間した話の中に「自分の部屋に籠もる」というのがあったので、今度は大学生の生活に話をふってみようかと思います。 大学生となった諸君の中には、四月から一人暮らしをはじめるという人もあるでしょう。それが東京であれ仙台であれ、はたまた関西、九州…

教育雑記帳(28) 待てない!

お子さんは、待てますか? そして、どこまでガマンが出来ますか? 常々、私は「待つこと」そして「ガマンすること」こそ、幼時に付けておく必要のある能力だと思っています。これが出来るか否かによって、子供の学習進度には大きな開きがでるのです。 例えば…