かたつむり学舎のぶろぐ

本業か趣味か、いづれもござれ。教育、盆栽、文学、時々「私塾かたつむり学舎」のご紹介。

2022-01-01から1年間の記事一覧

盆・再考 降る雪に

冬囲いの中に入れてもらえなかった盆樹たちが、みぞれの降る庭に立ち尽くしています。 やや年も暮れ。曲げたり追い込んだり、私の内に渦巻くエゴイズムによって実害? を被った樹々は暖かなビニールの保護室で養生しながら、「いやはや、今年はだいぶアイツ…

子宝日記(8) 子を連れて

けっこう冷静に考えた。冷静に考えた結果、この時期に性別が分かるということは、生えているものが生えていた可能性が高い。長い沈黙のドライブの後、意を決して「男じゃないか?」と、あくまで当てずっぽう感を出しつつ答えを出すと、私の葛藤を知ってか知…

弟子達に与うる記(19) 教員免許

大学できちんと学問を修めた人間ならば「教師」となるにあたっての必要条件を満たしていると言えるでしょう。しかし、それは十分条件ではありません。 では、その「十分条件」とは何でしょう。 私が思うに、それは一つに肉体的及び精神的な体力であり、今一…

盆人漫録(26) 自然を愛する男

それは、一対一のガチンコ対面でありました。 午前中の当番だった私が、展示会場である「蔵」の扉をギギギと開け放つと、そこに見知らぬ「景色」が広がっていたのです。 その「景色」の中を彷徨う私の視線は、まず以てその鉢の中に強烈な存在感を放つ「灯籠…

蝸牛随筆(9) サイゼリヤ讃 Ⅲ

まずナイフの先でそおっと、香味野菜の表を撫ぜるように形を整えて、内陸部に窪みを拵える。それはやさしきクレーターであり、それはソースを受けるための窪みに他ならない。 騒ぐ心を鎮めつつ、窪みの表面を美しく整形したら、音もなくナイフを皿の端に待機…

蝸牛随筆(8) サイゼリヤ讃 Ⅱ

「若鶏のディアボラ風」。よくグリルされた若鶏の上には、香味野菜の微塵切りが乗せられており、付け合わせのバターコーンに、軽くフライした角切りのポテトと、空腹に呻く胃袋をザワつかせる芳香を放つタレが脇を固めている。 「ディアボラ」とは当地におけ…

蝸牛随筆(7) サイゼリヤ讃 Ⅰ

敬意を込めて私はその店を「サイゼリ屋さん」と呼んでいる。 今だってロクにないけれど、今よりもっと金が無かった学生時代にも、私はこの「サイゼリ屋さん」に繁く足を運び、今と同じ物を食し、時には悪友とデキャンタやマグナムで頼むワインを鱈腹呑んで、…

盆人漫録(25) ニューフェイス

今はどうしているのやら。 彗星の如く盆栽同好会に入会してきた大型新人。その肩書きは「植木屋さん」とあって、トレードマークのサングラスを、一同畏敬の念をもって眺めたものでありました。 聞けば盆栽もお持ちのようで、樹を知り尽くした本職が育てる盆…

教育雑記帳(42) 主語を突き止めろ 後編

教育における答えは、いつも単純明快であります。だがしかし、それを実践に移すにあたっては、指導する立場にある人間の、骨太な理念と忍耐が必要となります。そしてこれは、家庭学習においても同様です。 「うまく説明が出来ない子」に必要なのは国語のお勉…

教育雑記帳(41) 主語を突き止めろ 前編

「この子は育ったなぁ」と思えるのは、大人相手にきちんと話が出来るようになった子供であります。 家の事情で一日分の宿題が出来なかった時、宿題を忘れてきてしまった時、親に言づてを頼まれた時に、「ふにゃふにゃ」言っているばかりで一向に要領を得ない…

子宝日記(7) 二分の一

腹の外で子供を待っている父親というものは、あるようでないようなわが子の実感をめぐって、ぼんやり物思いする星の下にあるらしい。 その子が如何なる星の下より来たったものか、自分が撒いた種であることは分かっていても、例のカラー写真によって顔を見せ…

弟子達に与うる記(18) 本は別腹

「卒論はお財布を痛めつけて書くものだ」という言葉を、きっと諸君ははじめて耳にすることでしょう。さて、この言葉が意味するところは何だと思いますか? もちろんこれは、大学を出るための卒業論文を誰かに高いお金を支払って代筆してもらうべし、というこ…

盆栽百計「楡欅(ニレケヤキ)」

それは今から丁度一年前。 初冬の早い夕暮れに、ふと立ち寄ったカインズホームの棚場の隅に縮こまっていたのを、偶然発見したのが馴れ初めである。 すっかり葉を落としきった裸木の状態であったけれど、蜘蛛の巣やら何やらに絡まった枯れ葉が引っかかって、…

蝸牛随筆(6) 日々をカタる

今週のお題「日記の書き方」 語るということは、ウソを付くということである。たといそれが真実であろうと無かろうと、語った以上、それは「騙り」という性質を多かれ少なかれ含有することになる。 中学生からこの方、文学の洗礼を受けてより「旧仮名遣ひ」…

塾生心得 特効薬と漢方 後編

私の指導方針が「特効薬」タイプであるか、「漢方薬」タイプであるのか、塾生のみなさんであれば、もうお分かりのことでしょう。 今現在、痛い所にすぐ効いてくれる薬が「特効薬」であるように、教育における「特効薬」とはテストで点を取らせることにだけ特…

塾生心得 特効薬と漢方 前編

身体に異変が起こった時、普通私たちはお医者さんに駆け込んで薬をもらいます。何なら「診てもらいに行く」と言うより先に「薬もらってくる!」なんて言って、そそくさと出かけていくものです。 かくして私たちが頼りにしている薬、おもに西洋医学的な見地か…

些事放談「サッカー雑感」

「このところ寝不足である。」というのは、例のサッカー観戦をした人々が、ちょっと誇らしげに昨夜の不摂生を語る常套句である。 しかしながら、私は夜中にサッカーを観ておらぬにも拘わらず、サッカーによって「このところ寝不足」なのである。間接的に、と…

盆人漫録(24) 冬のドナタ

出会いと別れ、わが同好会にとってそんなテーマの一年が暮れようとしています。 毎年発注している盆栽カレンダーを、同好会に出席できない会員の家にお届けするのは、けっこう大切な行事でもあります。身体の具合はどうか、盆栽も元気であるかを確認して、暮…

子宝日記(6) 産婦人科の駐車場

ここで本を読んだり、文章をものしたりすることが多くなった。 産婦人科の駐車場。ここには駐まっている車の数だけ物語がある。新しい我が子を迎えに来た父親のワゴンには、真新しいチャイルドシートが据えられ、今し方車から出てきた初老の女性は、ランドリ…

蝸牛随筆(5) 海のある町にて

「方角が悪い」なんて言葉を使う人間が、今の世の中にあるのか、はなはだ心許ないかぎりであるが、先日「方角の悪さ」を痛感させられることがあった。 とある港町。かつて私はそこの中学に勤務していたことがあるのだが、退任して以来そっちの方面へ行くたび…

盆栽百計「赤松」

これはコロナが始まるずっと前に、東京は上野のグリーンクラブの常設店において買い求めたものである。ちょうどわがブログのアイコンに、在りし日の姿が写っているのを参照していただきたい。 ひょろひょろとした立ち上がりと、樹肌の細かな荒れ具合が、ちょ…

塾生心得 12月のお便り

照ったり時雨れたり、一雨毎に冬の足音がそこまで近づいていることを、肌身にふれて感じる季節になりました。 葉っぱを落とした木々や、山の動物たちは冬ごもりの準備をはじめた頃でしょうが、塾生のみなさんはいかがでしょうか? え? 冬眠はしない。そりゃ…

子宝日記(5) 文士、服を買う。

ボタンダウンのワイシャツ数枚と、スラックス二本とチョッキとカーディガンが一枚ずつあれば事足りるのが、私の普段の格好である。 何度も洗っているうちにワイシャツの襟や袖口がすり切れたり、スラックスの膝が白くなってくると、妻に「そろそろ捨てるべし…

教育雑記帳(40) 手もと九割 後編

教育現場に居合わせる人間だからこそ出来る仕事をしなければ、指導者の立ち位置は将来的にタブレットに場所を明け渡すことになるでしょう。 書かれた答えを見ることは誰にだって出来ますが、その答えが刻まれるまでの「間」に立ち会えることこそが、指導者と…

盆栽百計「石楠花」

私のおばさんが庭の石からワイルドに引っぺがして、そのままビニールに入れて呉れたのが、このシャクナゲである。 「百計」とは言い条、初っ端から見事なまでの私の無策ぶりを露呈するようで、はなはだ気恥ずかしいのであるが、これはこれで「面白い」と思っ…

盆栽百計「序」

樹も塾生も、漫然と付き合ってばかりでは面白くない。 不思議な縁から私のところへやって来た彼らは、日々変化していく。これは文学作品であったり、プラモデルにはない厄介な点であると同時に、最大の面白みでもある。 生きているものを相手にしているから…

塾生心得 訂正の精度 後編

「訂正」とは「学び」のチャンスであります。 だからこそ、正解するよりも訂正することの方がよっぽど難しい。 正解とは正直なところ、実に味気ないものなのかも知れません。クイズ番組を見ていても明らかなように、ピンポーンと正解してポイントが加算され…

塾生心得 訂正の精度 前編

この間、ふとこんな警句が口を突いて出ました。 「間違いを訂正することは、問題を解くことより難しい。」 我ながらなかなかどうして、深い事を申してやったぜ、とひとりして悦に入っていたところ、「え? 先生、これってどこか間違ってます?」と言われて「…

子宝日記(4) 耳を澄ませば

このごろ通う店のレパートリーが一つ増えた。 いつものスーパーに、ホームセンターと本屋とビデオ屋に加えて、『ベビー用品』をひさぐ店に出入りするようになった。 当然のことながら、これまでおよそ縁の無かった店であるが、あと数ヶ月もすれば「必需品」…

教育雑記帳(38) 英語のはじめ時 後編

そもそも、こちらの指示や学習のアドバイスすら、ちゃんと伝わっているのだか定かでない段階にある子供に、英語を習わせるなんてことは、愚かしい倒錯に過ぎないのです。 向こうの言葉を覚えるならば、それに対応する母語という基礎がしっかりと出来上がって…