数学をしている最中、突然私に「下ごしらえをしないと、おいしく料理できない」と言われた経験のある人、ハイ手を挙げて。と言ったらほぼ全員が挙手をするのではないか、というヘンな自信があります。
「下ごしらえ」。これは取り出して眺めてみると実によい言葉です。最近数学ばかり教えているけれど、もともと文学=言葉遊びの世界を生息域としている私は、気に入った言葉を見つけると、それを本来使われている文脈から脱線させてみたくなる性分。それを耳にした門下生の諸君が無言のうちに「!?」と一瞬ビックリして、「あ、あぁ~、ハイハイ。」と呑み込んでいく様子を観察しては面白がるという、ひどく高尚ななシュミを持ち合わせているのです。

例えば数学における「下ごしらえ」は、やたら複雑な数式を計算しやすく変形すること、と言えば分かりやすいでしょうが、それだけではありません。『白3個、赤5個、青2個のボールから計3個取り出す時、少なくとも1個以上赤のボールが取り出されるとき』云々といった問題を考える際には、余事象である『赤が1個も取り出されない』場合について考えるのが賢い手段。この問題を額面通り受け取って『(Ⅰ)赤が1個のとき・・・(Ⅱ)赤が2個のとき・・・』と果てしなく場合分けをしてしまう人は、それこそ「下ごしらえ」がなっていないのです。
また、英作文ひとつ取ってみても、出題された和文を英訳する際には、英訳しやすいように和文をしっかりかみ砕いて解釈したり、時には適切に意訳してから英文を考える「下ごしらえ」が必要になってきます。
お分かりのように、私の言う「下ごしらえ」とは「この問題が何を尋ねているのか」、その質問の所在を明らかにする作業と言い換えることが出来るでしょう。問題を読んだビギナーたちが「うえぇ、ムズっ、無理。」となるのは、およそ彼らが問題文の用語や数字に目がくらんで、何をすれば良いのか途方に暮れてしまうためです。「何を質問されているか」さえしっかり見定めることが出来れば、「そのために何をすれば、何が分かればよいのか」という方針が立って、もはや道に迷うことがなくなるのです。
どうでしょう、塾生のみなさんはきちんと「下ごしらえ」が出来る人になってきているでしょうか。私がこうして「下ごしらえ」の重要性を訴えているのは「点を取るため」なんて近視眼的な目標のためではありません。諸君の将来のために言っておるのです。
「問題の本質を見定める力」が具わっていれば、「正しく迷う」ことができます。それは非本質的などうでもよい枝葉末節に振り回されることなく、問題と正しく向き合った上で、解決方法を模索しうる能力と言えるでしょう。学問とは「正しく迷う」ことを突き詰めてゆくゲームであり、信頼されるリーダーとは「正しく迷い」その答えを仲間と共に考え得る人間に他なりません。
勉強を点取りの道具とばかり思っていては、それこそ本質を見誤るというもの。勉強をしながら、〈論理的にものを考え〉そして〈問題の本質を見定める〉力が具わって来さえすれば、自ずから点数は付いてくるはずなのです。
だからまずは「下ごしらえ」から始めましょう。もちろんお料理をするときにも、くれぐれもお忘れなきよう。




