夏休みの終わりは、すなわち作文の締め切りを意味するわけで「諸君の作文の責任は私が取る」と豪語した以上、私はセンセイ方の原稿のあがりを今か今かと待っている編集者のような状態。下書きの誤字を直しながら「もうちょっと、ここの考察を・・・」と、いつまでも粘っているものだから、この時期にハラハラしなければならない羽目になるのも、もはやマイ風物詩だったりします。
しかしながら、今年は一大決心をして現行の『読書感想文』にケンカを売りに行くと決めた以上、〈読み〉を重視した『新しい読書感想文』を彼らにぜひとも書いて欲しくて、「感想なんぞで終わるんじゃない!」と檄を飛ばして闘いに明け暮れた次第であります。

「闘い」とは言いながら、それは飽くまで「自分がこの作品をどう〈読む〉か」という作品との対話に他なりません。彼らと同じ作品を読んで、対等な読者の立場で「○○な作品と思って読んだ!」と語り合い、その根拠をたずねたり説明したり・・・そんなことをしていると化学反応のように新しい〈読み〉の可能性が見つかって、今度は「よし、その線でもう一度洗い直しだ!」の捜査がはじまる。それは読書および言語活動の面白みを凝縮したような時間であり、私自身もまた「あ!」っと、一本取られる秀逸な〈読み〉にも出会うことが出来ました。
特に『リヒト!』という作品タイトルの、なんと「!」の部分についての考察には私も「!」させられた次第で、それによって私の『リヒト!』の〈読み〉がまた一つ豊かになりました。これは単なる感想の発表会では得られない感動でありましょう。
『新しい読書感想文』とは、こうしたやりとりを通して煮詰めた作品の〈読み〉をまとめたレポート、言うなれば「文学論文の卵」なのです。「感想じゃねぇじゃんかよ」なんて批判はお門違い。彼らがゆかしく思ったり、「おや?」と引っかかった部分について、とことん論理的に掘り下げたものこそが〈読み〉なのだから、これにイチャモンをつける不逞の輩があれば「私が直々に出向いて文句をいってあげるから大丈夫」と、彼らを鼓舞した次第。
「読書感想文」よ、さようなら。私はずっと君が嫌いでありました・・・。という直接的で主観的な物言いが、単なる一個人の心情吐露としてネット上に流れては忘れ去られていくように、言葉と文章が何億分の誰かの琴線に触れて生き残るためには、周到な論理と戦略が必要なのです。「感想」は閉じられたモノローグ、〈読み〉は開かれてナンボのダイアローグ。そこにこそ、AIに出来ない言葉の遊びと豊かさがあると私は信じています。
塾生諸君、次の夏もぜひ一緒に作品の〈読み〉を深めて、頭にイイ汗をかいて参りましょう。




