筆こそ使えないけれど、文字というものとお友達である以上、文房具とは切っても切り離せない付き合いを続けている。
それに対して常軌を逸した拘りがあるわけではないと自分では思っているのだけれど、ふとした拍子に文房具屋を覗いては、ちょこちょこと何やらかにやら細々したものを購いもとめて来ては、ひとり机上でニヤニヤと戦利品を弄くり回している自分がある。
机の上というものは、ひとつのミクロコスモスである。そこに書物を繙いてみたり、気の趣くままにペンを走らせてみたり、書きかけの原稿と睨めっこをしてみたり・・・そこにあらゆる文字とジャンルの異なる言葉が行き交い、時に火花を散らせるかのように衝突したかと思えば、それが全く新しい潮目を生み出すこともある。
文房具は、そんな机上のダイナミズムを私とともに第一線で目の当たりにする無二の相棒にほかならない。新しいノートに文字を書き入れる瞬間の小気味よい緊張、肌に馴染んだ万年筆の書き味、吟味された紙のえもいわれぬ白さ、インキの発色・・・それらは寧ろ、私の書くことに対する意欲を下支えする、欠くべからざる要素なのかも知れない。
フェティシズムと断ずるなかれ。いにしえ人は素敵な言葉を遺しているではないか。
文房清玩。いにしえ人もまた、机上の空間を愛すべき筆記具によって彩った。時には趣味を解する朋を書斎へ招き、ミクロコスモスに遊んだのであろう。
私もまたそんな趣味人に倣い、気の向くままに文房具について語ってみようと思う。もちろん招くべき「朋」は読者諸氏である。