かたつむり学舎のぶろぐ

本業か趣味か、いづれもござれ。教育、盆栽、文学、時々「私塾かたつむり学舎」のご紹介。

子宝日記(23) 軟禁パパと難産ママ Ⅸ

 今の呼び出しが途切れたのは、ちょっとした手違いだった可能性はないか。妻が苦しい息のもとで通話ボタンと着信拒否のボタンを間違えて押してしまった可能性はないか。

 もしそうだとしたら、向こうの分娩室の一同は今一度電話がかかってくることを当たり前のように待っていて、それでもかけ直してこない私は、えらく薄情なヤツであり、いままさに分娩台で苦しんでいる妻はそんなヤツを夫に持ってしまったカワイソーな女として、要らぬ憐れみの目に晒されるおそれだってある。

 ええい、ままよ。とばかりに今一度「テレビ電話」のアイコンを押す。すると今度はコールして直ぐに電話が繋がり、覗き込んだ液晶画面には、分娩室と思われる見知らぬ天井がめまぐるしく旋回して、ぬうっと妻の顔が現れた。

 それはまさしく苦悶の表情より他の何ものでもない。おそらく電話は誰かに持ってもらっているらしいが、通話に乗り気ではないことは明らかである。やはり言わんこっちゃない。「大丈夫か?」なんて訊くのは絶対に野暮であり、頑張っている人間に対して「頑張れ」と言うのは私のポリシーに反する。

 かける言葉に窮した私が「苦しいだろう。」と語りかけると、妻は「うん。」と気のない返事をして「じゃあ切るね。」であっけなく通話は終了した。妻の命に別状のないことが確認されたのは良かったが、難産の最中にテレビ電話をかけるべきでないことは、産まれてくる息子にもしっかり語って聞かせてやろうと思った。

 不発の電話から約二時間。いよいよ退出時間の迫った私が、いそいそと帰り支度を進めていたところ、静まりかえった廊下にパタパタと足音が響いた。ガラリとドアーを開けた助産師の姐さんが「あれ?」と頓狂な声を発した。

 「もう聞いてます? お子さん、ちょっと前に産まれましたよ。」
 「はぁ、左様ですか。どうもお世話様。」

 それが軟禁パパにようやく届いた、出生の第一報であった。例の如く私はそれをどこか他人ごとのように聞き、深い実感も湧かぬまま私は人の親になった、というかなっていたのである。