かたつむり学舎のぶろぐ

本業か趣味か、いづれもござれ。教育、盆栽、文学、時々「私塾かたつむり学舎」のご紹介。

些事放談 『ありき』の世界 Ⅰ

 原発処理水の海洋放出がはじまったようだ。それに伴ってお隣の中国から福島をはじめとする近県に、オカシナ電話がかかってくるそうで、毎朝のニュースはその心ない所業をこぞって取りあげている。

 確かにそれは「心ない所業」であって、日本の一個人のもとへあてずっぽうに電話を掛けてくるという時点で、その知性や倫理に重大な欠陥があると言ってよかろう。そんなことをしたところで「救い」なぞないというのに。

 福島は国策によって多大な被害を受けた上に、その後もなお苦しめられ続けている。処理水をどうにかしたところで、今度は再び風評に遭う。結局のところ福島の被災地にも「救い」はないのである。沖縄もそうだが、どこまで福島にワリを食わせれば気が済むのだろうか、と暗澹たる想いに駆られる。

 AIが分析する将棋の局面のように、政治判断に最善手というものは存在しない。しかしながら政府の打っている手が、限りなく悪手に近いものであることは分かる。なぜなら、彼らはいつも『ありき』の思想で物事を進めようとするからである。

 先日の「モーニングショー」で、処理水排出を日本が近隣の国々にどのように説明責任を果たしたか、という話題が出た際に玉川氏がクリティカルな質問をしていたのが印象的であった。

 中国にそれを説明する際に、日本は海洋放出以外の方法も一緒に提示したのかどうか。つまり、氏の質問の本意は「また日本は決めたこと『ありき』で話をしたのではないか?」というところにある。マイナンバーの問題然り、トップダウンで出てくる政策はみながら「こうすることに決めましたのでやります。」という唐突な物言いで始まるわけで、今回の海洋放出にいたっても、やはり「海洋放出をやります。」という結果しか伝えられてはいない。

 果たして氏の質問に対するはかばかしい応えはなかったものの、中国をはじめとする近隣国に日本は『ありき』で話を持ちかけたのではないだろうか。そこに「そういう考えにいたった過程」というものは一切見えてこないわけで、ヘタをすれば何とかの一つ覚えと思われても仕方がないのである。