かたつむり学舎のぶろぐ

本業か趣味か、いづれもござれ。教育、盆栽、文学、時々「私塾かたつむり学舎」のご紹介。

塾生心得 ことばの話

 よく大学生には、図書館で調べた専門書の言葉をそのまま論文に引用して、結果的に何が言いたいのかよく分からなくなっている人がいます。これは第一に、使用した言葉がまさに借り物状態で、それが自分の深く理解している《ことば》でないというところに問題があります。また、記述問題や文章を書き始めると、最終的に自分が何を言いたいのかだんだん分からなくなってしまう、という話もしばしば聞かれますが、これは何について書くのか明確な目標が定まらないまま、つまりは論理的な筋道が立っていないままに見切り発車をしてしまっているからこそ道に迷っているのです。カタコトのコトバではない、自分のなかでしっかりと消化された《ことば》を自由に操るためには、その言葉の意味や定義を理解すること、そして論理的な筋道を立てることの二点を守らなければならないのです。
 表現することとは、それに適した記号を、ある一定のルールに従って用いることではじめて可能となるものです。音符であれ数式であれ日本語であれ、記号を用いて何かを表現しなさい、と言われれば、われわれはそのルールに従ってある種のゲームをすることになります。ですから、ルールから外れた文法で好き勝手にプレイすれば、相手に「すみませんが、何を言ってるのか分かりません。」と言われて、ゲームオーバーになってしまいます。ゲームオーバーにならないためには、自分がゲームのルールに精通する、つまり記号を手足のように操れるプレイヤーにならなければなりません。
 そして、もっと突っ込んで言えば、これは日本語のみならず普通のテレビゲームでも、数学でも英語でも文学でも、医学でもロボット工学でも、あらゆる分野で言えることなのです。例えば、みなさんがいま突発的に化学に対する猛烈な興味がわいたので、さっそく仙台の大型書店に化学関連の専門書を買いに行ったとします。ですが、その本棚にある分厚い本を手にとっていざ開いた瞬間、わけのわからないお経のような記号とマンダラみたいな図式に面食らって茫然自失、あれだけふくらんでいた化学に対する興味がみるみるしぼんでいき、コミックの新刊だけ買って帰るという結末もないことはないでしょう。
 これは記号=《ことば》が分からない、使いこなせないことで、せっかくの貴重なチャンスを逃してしまうことの少々強引な例えですが、もしここで少しでも、化学という分野が使っている記号の意味を知っていたり、学校で教えられた化学の知識を持っていたりと、すこしでも取っ掛かりがあれば、もしかすると「この本が何を言ってるのか分かりたいから勉強してみよう」とか「将来、こういう本が読める人間になりたい」というチャンスの芽が生まれたかもしれません。つまり、それこそが化学という一つの学問的なゲームに参加するということであり、同時に化学の《ことば》とそのルールの中で自分の力を発揮したり、新しいことを発見したり表現することにつながっていくのです。
 最後にもう一度、私が専門とする学問領域である日本語、国語の話に戻りましょう。さっき私はわれわれの日本語もまた、ルールに従って使用しなければ相手に分かってもらえないということを述べました。そう言ってしまうと、何だかとても不自由で日本語が使いづらいような印象を受ける人もあるかも知れません。しかし、これは裏を返せば「ルールさえ守れば伝わる」「ルールの中でならハメ技やチートを使っても大丈夫」と読み換えることだって出来ます。ここにこそ、日本語というゲームをプレイする醍醐味があるのだと私は思います。
 一つの文章が、どうしても表現したい何かを伝えるためには、それ相応の論理的な筋道が必要となります。ですが、この最低限の条件さえ満たせば、どのような語り口を選び、どのような《ことば》をチョイスして、どのようなものを表現するのかも全て自由なのです。さすがに国語のテストでこれをやってしまうと0点になってしまいますが、われわれの母国語に関心を持ち、そのルールに従って何かを表現できる腕前があれば、そんなことが問題になるはずはありません。文章とはロジックです。しかし文章とは、ロジックでありながらロジックではないことだって表現することができる素晴らしい道具なのです。
 まずは記号を操ることに対して自覚的になることです。問題が分からないのは、問題が難しいからではなく、問題を作っている《ことば》=記号が分からないのです。学校で学ぶことは、われわれにとってあらゆる分野の《ことば》についての取扱説明書となってくれているはずです。新しいゲームの箱を開けた時の取扱説明書の分厚さにわくわくしたのは、私の世代までかしらん…。まあ、そんなことはどうでもよいとして、これからの未来を生きる生徒諸君はくれぐれも、この学問のトリセツをろくに読まずに捨てることのないようにしましょう。