かたつむり学舎のぶろぐ

本業か趣味か、いづれもござれ。教育、盆栽、文学、時々「私塾かたつむり学舎」のご紹介。

作文の時間(9) 比喩ってなぁに?

 「かぼちゃに手裏剣を打ったような」出で立ちのお武家さま、「忍術使うような」目をして化粧をはじめる女将さん。

 落語はまさに比喩の宝庫です。どこから何が飛び出すか分からない、そんな、アッと驚く言葉に魅了されたり、腹を抱えて笑ったり。どこかの誰かさんみたいに「いやぁ、日本語って、ホントにおもしろいですねぇ。」と言ってみたくなるような気さへします。

 落語の面白さを語り尽くすには、膨大な時間がかかりますが、そのうちのひとつを取りあげれば、やっぱり「比喩」の面白さというものがあります。

 国語でお馴染みの「比喩」。日本語ユーザーのみなさんは、普段どれくらいこの比喩を使っていることでしょうか? まさか例の如く「リモコン」とか「ショーユ」とか、比喩と無縁の生活を送ってはいないでしょうね?

 ある対象を、別の事象のイメージを借りて表現することで、そのニュアンスや雰囲気を、より鮮明に伝えるのが「比喩」の仕事です。そして比喩の醍醐味は、何と言ってもそのダイナミックさにあると言えるでしょう。

 例えば、冒頭に挙げた化粧する女将さんの目つきに対して「忍術使うような」という比喩が使われる時、われわれは少なからざる驚きに見舞われます。それはお化粧中の「女将さん」と「忍術」を使う忍者はイメージ的に、あまりにもかけ離れているからに外なりません。

 しかし、怪しげな印を結んでガマか何かを出そうとする忍者のおどろおどろしい感じの目つきが、ともすると鏡台に陣取った女将さんのそれっぽく感じられてくるから不思議ではありませんか。

 このように、比喩は普通ならあり得ないイメージとイメージの、ダイナミックな取り合わせを可能にしてしまうからこそ面白いのです。それはあたかも生ハムとメロンのように(?)ひょんなマッチングから、アッと驚く美味が生まれるかのように、固定された対象のイメージを思わぬ角度からひっくり返す可能性に満ちているのです。

 どうです、これを使わない手はないと思いませんか? だったらどんな感じでわれわれは「比喩」を作文において使いこなせばよいのか、早速あれこれ考えてみることと致しましょう。

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