かたつむり学舎のぶろぐ

本業か趣味か、いづれもござれ。教育、盆栽、文学、時々「私塾かたつむり学舎」のご紹介。

盆人漫録(10) 徳江さんを想う

 まだ私が自分の軽トラを買う前、展示会の準備で徳江さんの軽トラを運転することになった時のことでした。

 自動車学校を卒業して以来、一度もまわしたことがなかったマニュアル車。それを急に預けられて悪戦苦闘、ギッコンバッタンしながらも、何とかかんとか用を達したと安堵した刹那、荷台の角を電柱にゴン。

 通院を終えて展示会場に顔を出した徳江さんに、早速事の仔細を伝えて謝罪すると、何食わぬ顔で「動けば、よし!」とだけ言われて、ただそれだけ。細かいことは気にしない、まさに豪放磊落。

 数年後、もう一度だけ「動けば、よし!」案件もありましたが、徳江さんの興味はすでに今日の教室で真柏の棒幹を二つにかち割ることの方へ動いていて「ナタ持ってきた方いがすかや?」なんて相談を持ちかけられるから、私はどんなに救われたことか知れません。

 徳江さんの巨大な棚場には、いつもわんさか緑が生い繁り「ロクに手ぇ回んねくせに、まだの新しいの買い求めできてしまうんだおんねや。」と、愛好家お馴染みの台詞にくったくのない笑顔。

 鹿沼に行きたいとなれば即断即決、早朝にひとり軽自動車を駆って国道をひた走り、宮城から鹿沼、そこからとって返して福島は喜多方でラーメン休憩を取って山形へ抜ける、そして最後は例の「盆栽のたけだ」でしめて、峠を越えて帰宅する。ここまでくると、いわば一人鉄人レース。

 そんなウソみたいな道行きを、翌日の教室で「昨日さぁ」的な感じで飄々と話し出すものだから、この小柄な御仁のどこに、そんな途方もない体力と気力が漲っているものかと、驚かされること数知れず。

 その他にも山道でイノシシと激突して車がオシャカになったり、鳴子の崖から転落して自力で這い上がったり・・・徳江さんの伝説は枚挙に暇がありません。

 この大人物が前の会長さんに代わって、現在も会長として居てくれるおかげで、わが盆栽同好会がどっしり腰を据えて活動出来ているわけです。その人の顔を見るだけでなぜかしらホッとしてしまう。それこそがわが同好会の精神的な支柱たるゆえんなのでしょう。